リベラルのイデオロギー、護憲派のアイデンティティ

これ。

最近、朝日新聞が「自分自身=リベラル」を問い返している:文春オンライン
https://archive.is/ZgIQdarchive.is


(耕論)リベラルを問い直す 山口二郎さん、竹内洋さん、増原裕子さん:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/DA3S13206090.html



(あまりよろしくないが後者はこちらで読める )

これらの議論は「リベラル」のアイデンティティについてだが、少し前に書かれた星浩氏の記事もある程度この路線に連なるだろう(事実上のプロパガンダとなったシリアのアサドのインタビューを行った時点で、彼は、日本のリベラル代表のような顔を最早すべきではなかっただろうが)。

私が星氏の記事を読んだ時に引っかかったのは、彼がこの先の形として提示するリベラルーーイデオロギーに依存しない政策優先の穏健左派ーーは、日本では事実上政治勢力として存在できた試しがないという事だった(彼ら自身はしばしばそうしたイメージを作りたがったにも関わらず)。そこには構造的な問題が潜んでおり、まずそこから説き起こそうとしないのは単純に欺瞞に見える。

竹内氏によって指摘されている通り、安倍政権は本来左派寄りとされる政策を幾つか取ってきた。現状はむしろ左派の方が、既存路線に固執するような矛盾した状況になっている(希望の政策には更に極端な左寄りの政策も含まれる)。ポデモスを有難がるような認識はそれはそれで問題があるが、しかしこうした事実によって、左派はあらかじめ(特に氷河期世代以下の)国民にとって存在意義を失っている。


一連の議論の背景には当然立憲民主党の結党があるが、その党首が「リベラル」と呼ばれる事を嫌ったとしても(この言葉については後で書くが)、立憲はそもそも希望の党の動きを受けて、護憲つまり既存の左翼の受け皿として作られた党だ。選挙当時、当初希望におもねった発言をしておきながら手の平を返したとして阿部知子氏の言動が話題になったが(実際には彼女に関してはこれは冤罪のようだが)、阿部氏に代表されるように立憲民主党の中核には旧来的な護憲左翼が存在している。

メディアや当の護憲派が枝野氏を押し出し、リベラルとしてのソフトイメージを作り上げて支持層拡大に成功したけれども、実質を見ればそうした性質の集団ではないだろう。


現在「リベラル」という言葉が使われる場合、イデオロギーよりも、社会保障などの弱者政策や多様性を重視するイメージが想起されるが、ずっと日本での実質は、護憲イデオロギーに駆動される集団を指す言葉でしかなかった。文春記事が取り上げた犬塚氏の朝日への寄稿でも、基本的にはこうした意識の下に議論が為されている。

ところが、「リベラル」は、日本の政治に適用されると、元の語意を越えるようになった。護憲や平和主義を意味する用例は数多い。批判ばかり、机上の空論、正論の押しつけというイメージも生まれた。他方、保守の側にも「本当のリベラル」や「リベラル保守」を説く議論があり、「リベラル」はわかりにくい言葉になっている。ここでは、三つのステップで理解を整理してみよう。

(ひもとく)リベラルとは何か 自由を重視する社会のルール 犬塚元:朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/DA3S13224944.html


続きはリンク先で読んでもらうとして、少し話を現実の政治に移す。
つい昨日、民進党の有田氏の立憲への参加への動きが報じられた。彼は先日の選挙の振舞いにおいて左派の象徴的な存在だったと言える。彼をイデオロギー的左翼の代表と捉え、「リベラル」な立憲に入れるべきではないという声が多く見られたが、単純に馬鹿げた意見だと思う。いわゆる“しばき隊”との繋がりに言及して、受け入れるべきではないという声も多かったが、そうした見方をするのは立憲の支持層ではなく、むしろ(ネットの)保守寄りの人々だろう。保守寄りの彼らが立憲の「リベラル」イメージを守ろうとするのは、控えめに言ってとても奇妙に映る。枝野氏ら立憲上層部が「風」を見て拒否する可能性はあるが、有田氏については入るべき人が立憲に入ろうとしているに過ぎない。

しかしこうした保守寄りの中間層ですら立憲の「リベラル」イメージを支持しているところを見ると、メディアを使ったソフトイメージ戦略は成功しているのだろう。いわゆる「野党共闘」が上手くいくとは思えないが、一連のメディア戦略はこれらの動きと連動しており、一定程度成功していると言える。


もちろん枝野氏はいわゆる左翼ではないし、ロジックを見ていると引っ掛かりはあるものの、もともと護憲論者でもない。ただ彼が憲法私案を撤回せざるを得なくなったのは、明らかにあの私案に苛烈な批判を展開した共産党との選挙協力と、党内護憲派に配慮したせいだ。枝野氏は自らの撤回の理由を自民党に帰し、更に集団的自衛権に話をずらした形になったけれども。


枝野氏と共産党の護憲における曖昧さと距離感については、11月3日護憲派集会に参加した際のこの記事が前段として参考になる。

枝野氏は「国会でわれわれは少数派かもしれないが、(有権者は)憲法9条を改悪してもいいと白紙委任したのではない。国会の中の戦いと、国民のみなさんとともに歩む戦いを車の両輪として頑張りたい」と訴えた。

 志位氏は憲法自衛隊を明記する安倍晋三首相の提案を「9条2項が死ぬ。海外での武力行使が無制限になってしまう」と批判し、国会による改憲案の発議を阻止する考えを強調した。ただ、志位氏が演説したときには枝野氏は会場を去っており、そろって壇上に立つ場面はなかった。

枝野代表ら護憲派民集会に:毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20171104/k00/00m/010/054000c


「護憲」に関して、立憲はこの先も事実上政府を攻撃するツールとして使い続けるだろう(こうして明言する事は「あまりにも刺激的」であり続けてきたが)。
個別的自衛権というテクニックを使って集団的自衛権の議論を避けたあの「私案」(というか枝野氏の持論)を撤回した事は、あらためて建設的な議論から遠去かった証左に映る。言葉で何を言おうが、議会での立憲の行動はこの先民進末期と同様、護憲派に基調を引っ張られる形になるだろう。それは結局のところ、彼らは与党を担うに足る政党にはならないという事だ。

既存左派による立憲への支持は、立憲が政党として安定した時点でいずれ枝野路線への反発へと転じる事になるかもしれない(枝野氏がどこまで妥協するかにもよるが)。朝日の問いかけは、そうした相矛盾した流れを映しているとも言える。


あらためて言えば、護憲派は自らの行き場所を作る為に、それを自分自身で率いる事さえしなかった。彼らは、原発事故の際、官房長官として実態を隠し続けた中道左派の政治家を頭に据えながら、その政策に脱原発を掲げている*1。そして自らを「リベラル」と呼んでも、その支配的なアイデンティティは変わっていない。主張はもはや大きく現実と乖離し、北朝鮮が核ミサイル技術を完成しつつある今それを固守するのは犯罪的ですらあるが、(批判を「論破」する事に頭を絞る事はしても)彼らは「護憲」そのものを決して根本的に検証しようとしない。

だがそれでも、彼らはそれがもう票にならない事は知っている。有田芳生氏(や山本太郎氏)が選挙当時「トロイの木馬」として希望に潜り込めと発言したように、あの選挙で護憲派は生き残る為に自らのイデオロギーを隠す事を厭わなかった。その流れで出て来た立憲が、同様のイデオロギー隠蔽を行うのも単に自然な流れなのだろう。


振り返れば、左派を取り込みながらもむしろ保守政党だった民主党の中でも、民進末期にはかなり極端な左派による声が大きくなっていた(感覚としては都知事選あたりが境になったように思う)。保守派が押し出される形になり、その流れの中で希望への合流で「排除」が提示された。左派はこれを随分感情的に非難していたけれども、あれは民進党自身が行うべきだった事を小池氏が代わりにやったに過ぎない。民進党という分断された集団の寿命はずっと前に尽きていた。

しかし当時の(既存)左派にとっての問題は、いわゆる護憲勢力だけでは影響力を持つ政党は構成できないという事だった。その為に、彼らは民進党という左右に分断され機能しないプラットフォームを捨て去れず、いったんは希望に合流するという不誠実な選択をした。そして今、その受け皿となった党の党首は自らを護憲ではないと定義している。それが事実であるにせよ、結局民進党の抱えた分断の構図は解消されないままになった。

野党共闘」による戦略的なイデオロギー後退を含め、一連の度を超えた妥協は、実際には護憲というイデオロギーがもはやその信奉者においても空洞化した事を指している。だが同時に、依然それは自らの政治勢力としての存在理由であり、彼らはその形骸化したイデオロギーを捨て去る事が出来ない(少なくとも主体的には)。

立憲の曖昧で矛盾した状態は、正に左派全体のアイデンティティの問題を映していると言える。しかしこうした事は本来、冷戦が崩壊した時点で「問い直され」ておくべきだった事だ。

護憲は、現実には冷戦構造の中での反米主張として機能していた。なぜ日本の左派が冷戦時の枠組から抜け出せないかは、朝鮮半島が未だ分断されている現状と無関係ではないだろう。左派の多くは依然怠惰な反米イデオロギーに依存しているが、問い直すべき答えは最初から明確だ。彼らが必要としている事の少なくとも一つは、(国際関係の中での)米国との関係の再定義だろう。


現状正に危機的な極東の安全保障環境において、日本が自らの軍事力にどう対峙するかという問題は、あらためて歴史を研究し直す所から説き起こす必要がある(中国政府が北朝鮮との関係を問い直す為、沈志華に依頼したように)。
過去の枠組から抜け出そうとしない人々には、その必要性は決して本質的には理解されないだろうけれども。

元々彼らの多数派は、単に日和見主義者だった。自らの思想を問い直す事もなく――誰かにとって利用価値がある限り――彼らはまた再び怠惰の中にその存在を埋め込み続ける事になるだろう。

*1:これを読んでいる人には意外だろうが、私の立ち位置は基本的に反原発である。但し現実的な数字を積み上げていく事が前提であり、それが実際には困難なわけだが