で、ちょっと素に戻るけど

佐々木氏らについては、結局従来の綺麗事の結論というか、とりあえずマスコミなんかが提示してきたパターンからはずれていない。今回のように現実に関わっていなければ、よくあるとして通り過ぎただろうし、今も昔も、あの人の書く事に特に関心は持っていない。IT記者として、地道にやっていってくださいという程度である。


ただ今回出てきた他の人間にも共通していたけれど、批判されても耳に入らない、自論に固執し続ける頭の構造には興味を持っていた。思想的に偏りを持った人たちには、ありがちなことなんだけれども、佐々木氏にはその方面の偏りはあまり感じなかったから。


佐々木氏は少し前の『作り事の正義』に、わかりやすく在り方を依存しているし、「外向け」の綺麗事の部分と、自分の中のこだわりが妙に混じっているという印象を持っていた。これを読んで納得がいった感じはあるのだけれども。
基本的に突き詰めて考えることをされない方だろうなと思う。この人の俗っぽさに関しては、歌田氏と違って、愛嬌の類になっているようにも思うが、手厳しい言われ方もしている。



社会認識の幼さというのは、実はあまり年齢に比例するものではないのかなと思う。なぜ現実と違う幻想の社会認識を持てるのか、私は疑問だけれども、世の中にはそういう人間が多いのも確かである。実際、マスコミに一番その手が多かっただろうし、佐々木氏の言う「モラルに囚われた」まともな多数派は、マスコミが垂れ流す『思想』を耳から耳に聞き流していた。で、聞き流されていたということに、発信側は気付いていなかったわけだが。


「フラットな地平」が生まれた時、最初に割を食うのは、佐々木氏的・歌田氏的なものなんだけれども、ご本人達気付いてないなあと思う。彼らも余計な事に手を出すと、また今回のようなことになるわけだし、きちんとした仕事をされていけばそれでいいんじゃない、とか言ってみる。妙な思い入れさえ開陳しなければ、それでおよろしいんじゃないでしょうか。