「互助会」と「馴れ合い」の違い?〜はてなブックマークについて
はてなブックマークの「互助会」の話題が盛り上がっているけれども。
互助会かどうかはともかく、私は面白いブログを読み続けたい、というお話 - 日毎に敵と懶惰に戦う
http://zaikabou.hatenablog.com/entry/20160414/1460637502
互助会なんて知った事じゃねえよ - おのにち
http://yutoma233.hatenablog.com/entry/2016/04/14/113645
互助会互助会と言っても、正直そうした記事はあまりわたしの目に入っていない。それより毎回三桁のブクマを集めているような、比較的新しく中身の無いはてなの人気ブログ(業者が上げてくる人気記事と並んで)がわたしからすれば目障りになっている。
さすがにここで名指しはしないけれども、それは基本的に年齢層の下がったはてなユーザーにとっての読み物であるのだろうし、おそらくその人気のベースには無自覚な互助会的ブクマシステムがあるのだろうと思う(面倒なので調べない)。
はてなのサービスは基本的に閉じたコミュニティを基盤として発展してきていて、「馴れ合い」そのものがサービスのエンジンとなり「はてな」を形作って来たと言っていいと思う。
id:zaikabou さんの言う通り、その「馴れ合い≒互助会」という事ではあって、それがはてなの外への発展を阻んできた事については、これまでもう数え切れないほど指摘がされてきた。
最近のはてなを見ていると、複数の企業との提携を挙げるまでもなくそのコミュニティ依存からの脱却方針は明確で(ただしそのコミュニティこそがはてなの価値であるという明確な自覚の下に)、ライト層を狙った展開をしてきているのが見える。
率直に言えば、技術志向のはてなの企業としての限界がしばしば口にされるようになって、マスを捕まえなければ先がないとの経営判断が遅まきながらあったのだろうし、それは当然と言えば当然過ぎる帰結であって、「攻め」の方向性が成功するか否かはこれから結果が出てくるのだろう。
話を少し戻すけれども、では「馴れ合い=互助会」だっただろうか?と言えば、それは明確な違いがあったと思う。
まずはてブは情報流通(共有)ツール、という大前提を指摘するわたしのブクマから。
互助会なんて知った事じゃねえよ - おのにち
- [はてな]
うーん。はてブの様なサービスは質の高い情報を流通させる事が目的であって,互助会的影響が閾値を超えるとツールとして意味を為さなくなる訳。記事も人気コメも幼くて,これが今の日本の情報共有ツールの限界だなあと
2016/04/14 16:49
で、少し前の二つ。
自分だけのブックマークじゃない!?気をつけたいはてなブクマの3パターン - Enter101
- [はてな]
何というか、なぜこれがブクマを集めるのか、何をどう思ってこれにコメするのか判らない。私はやはり基本的に情報共有のツールだと思っているけど、これ書いてる人、共有がどういう物か根本的に感覚ないんじゃない?
2016/03/11 00:46
【重要・追記有り】カクヨム、半月経たずに撃沈一歩手前っぽくなってる件(でも、がんばってる)最近ブログにブクマすると自動的にスター付けてくる人達がいるけど、あれもウンザリ。増田の例は確信犯っぽいけど、訳わからないで使ってシステムそのものを崩壊させてる例も多い。
2016/03/11 19:39
つまり新しく使い始めた層は、サービスの存在理由そのもの理解しておらず、それを破壊する方向性で使ってしまう事があるという事。
もちろんこうしたサービスは本質的に製作者の想定を超えた使い方をされて発展していく物ではあるんだけれども、現状のそれは明らかに発展に向かっていない。
基本的にははてなコミュニティは技術系の人やアンテナの鋭い人で構成されてきていて、それは閉じてはいるけれども感性が繊細でクレバーな層。
何かを発展させる時に評価する力というのは絶対に必要で、普段明確にならなくとも、例えば在華坊さんのような人の「読む力」がその何かを発展させる原動力になる。逆に言えばそれがなければ何も生まれない。
少し踏み込んで言えば、新しい世代はその辺の集中力が拡散してしまっているように思える。
わたしはしばらくはてなを離れていて、以前この日記で書いていた時に在華坊さんを存じ上げていたけれども、最近のブログに関する記事を読んでいて、あらためてとても力のある人だと痛感させられた。
で、もう一つ。
はてな村で、ようやく自由になれたと思ったら、周りには誰もいなくなっていた。 - いつか電池がきれるまで検索してる時に、コアな情報が載ってるはてな日記に行き当たる事が結構あるんだけど、そういうとこはまず人気エントリには上がってこない。はてなはああいう情報をうまく掬い取れなかったかなあというのは、結構思う
2015/10/03 20:28
はてなは内にあった知の集積をうまく使えなかった、というのは長く見てきた人には割と共通した感覚ではないかなと思う。
はてブは大人(社会的な意味で)が使うに値しない物という評価が常に潜在的にあって、それが、社会の方が寄ってきたのか、はてブの方が変わったのか、今の認知のされ方を見るとわたしはある種感慨すら覚える。
互助会かどうかはともかく、私は面白いブログを読み続けたい、というお話 - 日毎に敵と懶惰に戦う私はウクライナに何か起こるとはてブに記録していて(こんな感じhttp://bit.ly/1p1R2SY),10年前の記録も残してる。その視点から言えばはてブは情報流通に失敗しているし,少し前から意識的にライト層に舵を切っている。うーん…
2016/04/15 05:08
で、このコメントなんだけれども、かなり特殊なわたしのブクマの使い方と、国際情勢や英語圏の報道の流通の仕方と、世界のデマ構造が川下のはてブに届くまで、というのを当初書く予定だったんですが、そこまで辿り着かなかった…。
情報流通の質っていうのは、明け透けに言うと自己評価より日本は相当に低いです。言語の問題が大きくて、世界の流れから抜け落ちている。
報道に国家統制が利いている訳でも*1、デマが大手を振って流通する国(これが結構ある)なわけでもないけれども、デマの背景にある物が日本からはまるで見えない構造になっていて、わたしからはそれがかなり危うく見えてしまう。
わたしは、はてブをデマ潰しによく使っているけれども、正直に言うと徒労感を感じます。よくはてブはデマに有効と書かれている方がいるけれども、わたしに限っても、わかっていても半分以上は放置している。要するに現状はそういう事です。
本質的に、情報を流通させる必要について、言論状況・報道機関を含めて現状に何が足りないのか、ソーシャルブックマークを語るならそこから説き起こす必要があるでしょう。
言い換えれば、それはわたしの感じているフラストレーションという事でもありますが、こうした議論は古いユーザーには理解されても、「互助会」を含めた新しいユーザーに読まれるとは思わない。
誰かが書くというのはそうした事であって、先に徒労感しかなければ意味のある事は最初から書かれない訳です。
一つ書いておくとすれば、自分が求める物の為にアクティブに動くユーザーと、受動的なユーザーは機能(と書きますが)に差が出てくる。基本的にある時代までのネットユーザーは実生活を切り離したところで動く傾向(とそうせざるを得ない欲求)があったし、今の十代二十代はネットと日常の距離が近い。
いわゆるジャニオタの書くものが面白いのは、一つにはおそらく彼女達が非日常を求める人々だという事があるでしょう。
コミュニティやその延長上にある物が機能するには、やはり知性と何かを面白がる感覚を必要とするし、自分が何を欲しているのかわからなければ受動的に動く事しかできない。
このあたりは発展性のある議論ですがいったん切ります。
余裕があれば近い内に次の項を書きます(絶対に書くとは言いませんが)。
*1:揶揄的に「日本もそうじゃないか!」と言うのはやめましょう。本当にやっている国の結果は全く洒落にならない