オウムの政治参加についてといっても、もっと足元から議論をやれと言う話

諸事情あってネットにつなげられなかったので、やっといろいろと読んでいるんだけども、なぜそういう方面に話が進むのかが分からない。あちこちにコメントがありすぎて全部フォローできない。自分の問題意識とかけ離れてるので読む必要性があまりないようにも思う。


BB氏は話を広げすぎ。
公安調査庁とか公共の福祉とか、今そこまで視野に入れる必要性もない。自分の立脚する所から物を言うのが基本だと思いますが。ここは黒崎さんの指摘するとおり。ただ、松永さんが政治活動を認めるべきといっている箇所はかなり危うい要素があるので、そこに対応されようとはしたんでしょうけれども。


BB氏の所からid:sakichanのコメント引用。
ここが問題だったわけですよね?まさに。この後エントリ立てて幾つか書き足しますが、ここについてBBさんは問題を感じていた。政治といってもいろいろな局面があるわけです。その意味で諸所で展開されている政治との関わりの論議は、今回の局面ではあまり意味がない。(最後の段は現状多少違うかなあというか、当初の認識の齟齬が埋まらないので当時の指摘をしているということなんですけどね。その流れで批判は出てくるんですが。)

とはいえ、(秘密投票の類を除けば)政治や政治についてのコミュニケーションにかかわるというのは、具体的に他人を巻き込みうる行動ですから、そういう場にかかわる信義の問題として、ああいう席で現役信者っていうのを伏せて参加したのってどうなのよっていうことは問題としていいのだとは思うんです。とりあえず、隠れた目的(hidden mission)があったんじゃないのと疑うこと(疑い続けること、ではないことに注意)、あとは、その疑いが晴れても、「李下に冠」となる行動をとったことについて批判すること、そういうのは許容されるとは思う。


http://d.hatena.ne.jp/BigBang/20070212#c1171380677


外から見てどう見えたか、というのが状況としては当時の全てであり、そこから対応を決めていくしかなかった。ですからここで今松永さんに意図がなかったと認識していても、それは当時「なぜその証明が必要がされたか」には関係ないわけです。ここで松永さんとちょっと齟齬がある。

では、私はあくまでもライターとして、あるいはブロガーとしての名刺を渡し、そういう者として行動し、それ以外の「属性」においては一切の行動をしていない。これは認めてもらえるわけですね。


http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20070211#c1171163991

現時点で、自分がどう見ているかと問われればYes。ただ公的な性格を帯びた場であった以上、あらためてきちんと証明の形が作られるべきものではあろうと思います。そして元々「公的な場面であるから」『それ以外の「属性」においては一切の行動をしていない』事の証明の形を求めていたのであって、「した」と決め付けたわけでもない。最初から半分は、していない事をその口で言ってもらうのを待っていたわけであって。私的公的と言うと、またその部分に反発されそうな気がしますが。
しかしこの後、話の趣旨がいきなりこれまでと飛びますね。


また上記のコメントは私の聞いていた文脈と食い違いがあって、あの時は民主党からブロガーとしての名刺ではなく本名の名刺が求められていた。けれど松永さんは「松永英明」の名刺を出し、烏山の住所も出さなかった。ここで松永さんは明確に実名とアーレフという属性を隠したわけです。「誰も聞かなかったから答えなかった」というのは売り言葉に買い言葉なのかもしれませんが、ここについては結局きちんと回答されていない。


身元を隠したことは当時邪推を呼んだ大変大きな要素でした。懇談会がたいした場でなくてもその先、党に近付くステップとできる可能性はあるので、そこを狙ったのではないかと懸念された。あなたは現在信者である事を明らかにしなければロビイ活動などできないといっているけれども、ここで河上イチローとして過去が問題になる。当時信者であったことを隠して反破防法・反盗聴法についての活動をした政治的な活動をしている。これは明確に団体を利する政治的活動です。またこれらの意図を持った人間が政党に近付く事ができたら?そこで団体に都合のよいように特定の議員を誘導しようとする事程度は簡単にイメージできます(もちろん仮定の話)。


他にも幾つかありますが、あなただからこそ疑われた特殊事情がある。松永さんはこれらの政治的活動を今肯定しますか?信者の政治活動を全般的に肯定すべきと言えますか?過度の一般化は問題をずらします。

もう少し突っ込み 

言い換えれば、あの場に中核派の人とか極右の人がいたとしても、単に話を聞いてそれを伝えただけなら、何か問題があるの?という疑問はまったく解けない。


http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20070211#c1171163991

そもそもあの懇談会は政治に関する意見を募る場であったわけです。ネットと政治という主題でしたが、憲法改正国民投票もお題として上がっていましたね。その趣旨を鑑みても、中核派革マル、極右の出席が求められるわけはない。結果的に松永さんの行動は問題がなかったであろうという結論は出ても、信者が信者として出席すべきものであったかといえば否でしょう。ここ、松永さんの言っている趣旨が明確に変わっているんですけどね。そこもどうであろうかと指摘させてもらいますが。民主党はあなたが知っていたら出席させたと思いますか?思わないでしょう。事はそういう問題です。法の問題ではなく、言論の自由の原則の問題でもない。



また、あなたも再三指摘しているようにマスコミは上祐氏の物言いを一方的に垂れ流している。これはジャーナリズムがジャーナリズムとして機能していないことを指しています。松永さんはwikipediaに「報道を貼り付けるだけでいい」と揶揄されていましたが(その解釈の不適当さはともかく)、この場合前提として報道が報道の態を為していないという事実が存在しています。だからおっしゃるとおりWikipediaが適当なものになっていない。そこで松永さんの証言は重要になりますし、貴重な一次情報になりえますが、対立という当事者の立場にある以上松永さん本人がWikipediaの編集に加わるのは適当ではない。
手記なりことのはなり多少公的性格を帯びるところで(インフォーマルよりという意味)上祐氏について記述し、それを第三者が読んで適宜判断し、報道等と併記する形でwikipediaに記述する。これが取られるべき手続きです。



野田氏に関しても松永さんの行動を見てて思うのは、公論で批判すればよかったのにと思いますけどね。野田氏の当時の報道に問題があったのは確かなので、ことのはでエントリを立てるなどして、そこで一個一個客観的に指摘していって批判すればよかった。その上で、彼の報道のスタンスの前提に誤解から来る自分への邪推があるであろうと書けばよかったんですよ。罵倒するのではなく。片寄った立場からwikipediaの編集をするのではなく(「ストーカー野田」という記述だというのは編集に加わったほかの方の評価でもあります)
だから手法の問題で、松永さんに客観的スタンスを取るという発想がかけていることが今回いろいろな厄介になっている。


戻りますが、上祐氏はマスコミを事実上操っているともいえるわけです。松永さんはそれをプロパガンダと批判している。ですからやはりアーレフが報道に近付くのは批判されるし忌避される。法的な問題ではなく現実問題として、です。


逆に、もし仮に私が政党にこういう公開の場で接近して、政治的に何か教団のために動かそうとしていたとして、それは何か問題なのかというと全然問題と思えない。むしろ「政界進出がむりだったので違法行為に走った」と認識されているのだとしたら、別に政界進出でもなんでもなく、きちんとした政治プロセスを踏んでアプローチするのは、逆に安全ではないかと思うのだが。

この記述には明確に問題があります。
>むしろ「政界進出がむりだったので違法行為に走った」と認識されているのだとしたら、
というのは松永さんは主張されてますが、必ずしも一般的な解釈ではないと思います。
坂本弁護士一家は選挙戦の障害になるという判断で殺害されたのではなかったですか。少なくとも選挙前に殺されているのです。それを鑑みれば、この松永さんの記述は全く不適当です。あなたならばオウムの時系列は把握されている筈ですが、その上でこのようなオウムに都合のよいように片寄った認識をされるならば、あなたのオウムについての認識に根本的なところから疑問を投げかけざるを得ません。そこを立脚点にされるあなたの議論を、私は認める事はできません。



以下のBB氏の意見には同意します。

それに対し、教団名を堂々と明かして政治活動すべきだし、しても問題ないと私が(私見です)考えているのは、教団の信者の方の住民票受け入れや未就学児童の問題です。これらに関して、教団が状況改善を、顕名で公党に申し入れる。これについては許容されるし、許容していかなければいけないと思います。

以前松永さんとはすれ違いましたが、元オウム信者であるということで、解雇される、あるいは不利な扱いをされる。これについても、脱会後の信者の人権問題ですから、仮に教団がロビー活動したとしても直ちに批判されるべきではないと思います。別の意図があれば別ですが。


http://d.hatena.ne.jp/Ereni/20070211#c1171247737

証明を求められた際の、第三者の証言、客観的証拠の必要性

脱会にしても名簿が外から簡単に見られるものでない以上、対外的には100%証明できるものではない。届を出せとBB氏が言っていたのは、それが対外的な脱会の証明になるからです。これは偽装脱会の件から導き出される疑いとまた違う局面の話をしています。また私があなたの脱会を疑っているという意味ではありません。


私に対してやや揶揄的に言っておられましたが、「客観的にどう見えるか」公的に判断を下す場合これが基準となり得る全てです。例えば御堂岡さんが一月に脱会を聞いていて、それ以後の経緯も知っていたなら証人として本来機能できた。報道機関や政治絡みについても、泉さんが初動さえ間違えなければその証人機能も果す事ができたはずなんです。売文さんは誤解していたけれど、BBさんではその証人機能は果せないんですね。そこでややこしくなってしまったと書いた(ジャーナリストではないのでスタンスが難しいということもあるけれど)。
松永さんがいくら主観的にこうであったと言っても本人は本人の証明はできないんですよ。だから松永さんも、滝本弁護士のところに行ったわけでしょう。

選挙権について

それと松永さん、選挙権がないなんて私は一言も言っていない。
前回ここに答えなかったのは単に時間がなかった事、まさか私が本気で選挙権がないと主張してると松永さんが思っているとは思わなかった事。BB氏及びfinalvent氏がアーレフと政治の関わりについての部分に答える形になっていて、私にはその意見にあまり付け加える事がなかったからです。だから身分についての誤解のほうを優先した。


松永さん本当に私が「選挙権もない」と言ってると思ってますか?としたら受け取り方にそもそもバイアスがある。身分のことについてもだけれど、そもそも松永さんは私やBB氏が差別意識を持っていて、そこから発言していると決め付けてしまっている。それでは私が何を言ってもまともに聞いてくれはしないんではないかと感じます。

一日遅れだが

finalventの日記 - 世の中はバレンタインデーか


前なんかエントリ書いたなあ。「語られる女は幻である」というやつ。ちょっと違うけど。


バレンタインは、女の子に喧嘩吹っかけられた記憶しかないな。あの日は女の子が皆殺気立つから恐かった。