小説そのものが、自分には合わない


ここ暫く、なぜか叶姉妹のブログを読んでいたのですが。
更新されるエントリに女性向けのポルノ小説連載が紛れ込んで来て、(雰囲気からしてお姉さんがモデルなのですが)初回ちょっと覗いたらなんか笑ってしまって読めなかったんですよね。

多分ハーレクインに近いノリなんだと思いますが(大昔本屋で無料で一冊貰ったのを読んだきりなのでよくわからないけど)、ポルノ以前に、小説一般の語り方そのものが昔からわたしにはどうにも痒い。


数十年も遡ると、あまりそうも感じないんですが、週刊誌の連載小説とか、メルマガ読んでる関係で勝手に目に入って来る村上龍とか、はっきり言ってプロ半プロ含めてほぼ全てのものが数行読むのが辛い。

「鈴子は」とか、「高橋は、」とか、その書き出しがもう恥ずかしくて放り投げている。


自意識が半端なのが気持ち悪いんだと思うんですけどね。


ここに自分が書いてる物が一番恥ずかしいだろという意見には、別に何の反対意見もないんですが。
ここでは恥は毎回崖の下に投げ捨ててる感じで。



で、なんていうのか。
知り合いに「これいいでしょう?」と言われて、九割九分そう思わない感性に生まれたのはもう仕方ないんですけど、そこで相手に気を遣わずにいられる性格でもまたないので。日常、非常に過ごしにくいんですよね。


こういう、「合わない」事を書くのも自分的にはカミングアウト的な思い切りが必要なのですが、それが他人にどう見えるかというのもまた関心の対象ではあって。
自意識の断面みたいな物は、結局自分にとっての興味の焦点であり続けるんでしょうけど。