インチキ

時々フラフラとどこぞに行って、一緒だった人とすぐ仲良くなったりするんだけど、バーッと喋る割に、次はとりあえずとして、三回目以降連絡が無かったりするんだよな。
元々誰かと連絡取るとかめんどくさい人間だから、向こうから連絡してくれる人じゃないと付き合いが続かない。向こうが連絡するにも気を使うのだとわかっていても、どうしても直んない。
電話はめんどくさい、メールも気が向かない。日記なんて書くわけない。


ブログもここまでよう続いたなと思うけれども、どっかで間違ってると思いながらやってたから、逆に終わらなかったんだろうな。
ここんとこ、昔からネットで顔見知りだった人たちと接触があって、ああ覚えてくれてんだなあと結構嬉しかったりして、でもなんか変なもんだなとも思った。


最初の方読み返したら、ナンパに失敗した男の話みたいになってるな。まあいいけど。(いくらなんでもと思って少し書き換えた)
で、知り合った彼女の話をあれこれ聞いていて、気に病んでることを言葉にすると吹っ切れるよねと言うのを、それもわかるなあと頷いてたんだけど、男の人と好きとか楽しいとか言い合ったりしたらいいんじゃないかと彼女が言いだしたので、いや相手はそれで止まらんでしょうと言った。わたし以上に浮世離れしてるがな。


誰だって思い込みで生きてるもんだけどさ、その辺を外からあれこれいじって、飯の種にする奴ってどうよと、彼女と別れた後ツラツラ考えていた。いつの世もいるんだけどさ、そういうの。
誰かがこちらを信じようとする時に、上手く利用してタカる奴とは基本、体質あわねーなと思う。
宗教とか自己啓発とか、誰でもはまる恐れがありますとよく言うけど、あんまそう思わないんだよね。新興宗教は身体治療と重なってる部分があって、必ずしも馬鹿にしたものでもないんだけど、ただやっぱり胡散臭さには強烈な拒否感が働くわけで。その拒否感の強弱ってのがあるんだよね、見てると。


いくら綺麗事を言っても、誰かから向けられる信じたい気持ちをしんどく思わないなら、やっぱりそいつはイカレてるわけだから。
でもなかなかこうですよとは言えないんだよな。信じたい方はだいたい自覚がないし。ウェルカムな奴は意識がすっ飛んでる上に、ある意味ブラックホールみたいなもんだから。基本的には善人の場合もあるから、またややこしいんだけど。
自分自身が相手を信じたがってると思われてんだろうなあと、わかる時もあるし。


で、自分は書く事との距離感が、やっぱあまりに不安定だなあと思う。
今回結果的に何人かの人を無視する形になっちゃったんだけど、本当はすごくかなりとても気に病んでいた。モードを他人とやり取りするのに切り換える過程で、かなり無理をしたから、結局今の今まで引きずってしまったし。



自分にシンパシーを感じる誰かを近しいと思う反面、振り切ってしまいたいとも思ってしまう。
病気といえば病気だし、正しいっちゃ正しい。向けられる気持ちを気付かない振りをするのも、ルーティーン化してくると気が疲れてしまう。臆病さを先回りしてしまえる事は、結局自分を空っぽにしてしまうし。


元々内気だと言うと、親しい人でも初対面の人でも皆笑うんだよね。
あーそうか、ちゃんと喋ってんだなとそれで確認できるんだけど、なんか未だに不思議な気がする。
自分と同じしんどさを相手に味合わせたくないってのが潜在的にあって、それはでも間違っているんだなとなんとなく気がついてきた。優しさなんだと自分に酔う事はできても、常に何か違うという違和感は消えないんだよな。
またモード切り換えの時期なんだろな。
なんで優しくなったんだっけか、またしょーもないことを。