にゃあにゃあ

今回ここで書いてるのがいつまで続くのかっていうのはわからないし。沢山の人に読まれるとややこしいだけだっていうのは、もうわかってるから。
音二郎の記事とか面白がる人っていうのは、ほんと一握りなんだよね。通じない息苦しさみたいのは、やっぱ多少なりネットで解消してたんだろうけど。
ああいうものをあれ以上やるとなると、研究者かマニアかということになって、広がりとしては結構つまんなくなる。自分でやらない限りは。マニア気質って、ほんと合わないんだよ、わたしは。


まあそれで、たまに書いてる事を見ていて、思考過程をトレースできる人がいる。ああ同じような事考えてきたんだなと、わかってしまう時がある。
こういう奴と話したら面白いかなあと思ったりもするけど、距離詰めてちゃんと話してみたいな手順は、もうちょっとしんどい。
向こうが気付いて話したそうにしてるのがわかっても、疲労の方が勝ってしまったり。まあだいたい自分と似てるっつったら、ややこしい奴に決まってるし。


このブログ始めて、いま話している人達と今後接する機会もないんだなあと、最初から虚脱感のようなものがあった。外には正反対に見えてたんだって、あとで気付いたけど。
何を面白いとするかっていうのは、否定された感覚をいかにしれっと出すかっていうこと。少なくとも、わたしが面白いと思うのはそういう事だ。
似たようなものを面白がる人と話してたら、面白いんだろうかなと思う。ただそういうのはどこか危うさがついて回るわけで、結局自分は無い物ねだりをしてるだけなのかなとも思う。