祖父の話

魯山人の好み、というのを仕えていた料理長が話していて、アラの炊いたのやら、芋茎(ずいき)やら、ああそんな感じなのだなと思った。要は少し前の関西の好みなのだが。
同じ明治生まれの祖父は、カチカチの目刺しを焼いたのが好きだった。東京の若い看護婦には「まあお気の毒だわ」などと言われていたそうだけれども。


祖父は通人と言えば通人で、女遊びの派手な人だった。商売で成功して、とんでもないお坊っちゃん育ちだったのが、それを他人には言いたがらなかった。要はおのれ一代で成功した、と言いたかったからだ。実際末っ子だったから、自分で興した事業ではあるけれども。


芸事の好みにはうるさく、本人は踊りも上手かった。宴会などでは、まず一番に自分が披露しないと気が済まない人だった。家では祖母が気分を害する為に、なかなかそれを見せる事はなかったけれども(なぜならそんなものを覚えてくる場所は、お茶屋やそこらだからだ)、子供である母の目から見てもなかなかのものだったらしい。


骨董に詳しく、書の良し悪しもわかる。歌などにもうるさくて、ひばりが出てくると「出だしの音が駄目だ」「今日はなかなかいい」などと、歌い出しで必ず一言いった。



山田五十鈴は上手い、水谷八重子は下手くそ、山茶花究も上手い。田中春男も上手。
西田敏行は臭くなったが最初は上手かった。



貫禄は人を寄せ付けなかったが、同時に可愛げのある人でもあった。お偉いさんに会えば必ず並んで写真を撮り、取材に来たNHKの記者には、テレビに出られる機会があればいつでも自分に来いと言う。
高島屋の外商に選ばせた服を着て、近所を一回り歩く。



性格はともかくも、感覚的にはほぼそのまま祖父をわたしは受け継いでいる。人の顔を見れば、芸や仕事の上手い下手はわかる。もっとも、これが通用したのは二十年前までだが。今はもう世の中が変わって、価値そのものが変わってしまった。

祖父のような人間も、あのあたりで最後だったのだろう。新世代たる嫁たちは祖父を田舎者だと思っていた。まさにあの時代、映画にあったそのままにだ。


教養のない人間には、教養のあるかないかもわからない。

こんな事を言ったところで、どうせ、大概の奴には何が何だかわからないのだ。