陽の当たる庭

最近、なぜ書くのかという事を考えていた。
何かの答えを求めていたわけではなくーー曖昧な不調に苦しめられながらーー書き始めても形を為すことのない言葉を持て余したからだった。
存在を認められなかった感覚も、感情も、失った確信も、おそらくはその理由だった。けれど結局全ての理由は無力さに帰された。耐え難さとはいずれ何なのか、ぼんやりと考えている。


今まで知り合った書き手は、おもしろい程にみな欠落を抱えていた。たとえ彼女が盲目的な糾弾者としか見られなかったにせよ、彼女が文化の狭間で孤立し顧みられなかったにせよ、書かれた言葉を突き通して、癒しようもない傷口が見えていた。
それらは奇妙なほど自分と似ていて、ならば世界へと言葉を繋げていく作業など、わたしにはもう必要ないように思われた。否定されたはずのものは、痛みと共にそこにあったからだ。


何度も書きかけて集中が切れる。書く事が意味を為さなくなったからなのか、頭が保たなくなったからか。
端から笑えてきてしまう。書くとか書かないとか、滑稽極まっている。