女優の名前

昨年も様々な訃報があったけれども、山田五十鈴のそれには「ああ、来たか」という思いを持った。
2002年、彼女が倒れて複数の舞台を降板した時、代役挨拶には錚々たる女優達が並んでいた。それはこの女優の凄さをあらためて象徴する出来事だったが、その後十年の月日が彼女にとってどんなものだったのか、わたしは思いを巡らせずにはいられない。


彼女が亡くなった少し後に森光子ら数人の俳優の死が大きく伝えられ、そして現役のテレビスターだった彼らに比して、昭和を代表する女優である山田の扱いはあまりに小さかった。
森のキャリアに関しても、出発点が従兄である時代劇の大スター嵐寛壽郎の元であったことは、報道においてほぼ無視されていた。
森光子を知っていてもアラカンを知らない、田村正和を知っていても阪妻を知らない。それはやはり馬鹿げた状況と言う他ないだろう。


海外の報道においては、英紙ガーディアンが山田の代表作として「祇園の姉妹」を挙げ、溝口健二との作品について多く行数を割いていた。この人の作品を評価するならば順当にやはりそうなる。
舞台での実績、スキャンダル女優としても名を馳せた過去からすれば、国内の報道が評価が映画に偏らざるをえない外国の記事と異なるのは自明ではある。だが、どのみちそんなスキャンダラスな過去も既に忘れられている。いったい今若い人のどれだけが花柳章太郎の名を知っているというのだろう?
映画史に確かに残る存在であっても、山田五十鈴という名はある意味他の銀幕の大スターと共に朽ちかけているといっていいのかもしれない。



卑近な話になるが、子供の頃、母から彼女が花屋のツケを二年払っていなかったという過去の噂話をよく聞かされた。当時のわたしにとって、それは既に名が符号でしかない単なる伝説的スターの裏話だったが、数えれば語られた時代はもう半世紀近く前になっている。それは彼女が舞台に転向してそう年を経ない頃であって、外目に華やかに見えていても、彼女の台所事情は常に苦しいものであったのかもしれない。


フィルムに刻まれた若き日の彼女に、わたしのように射ぬかれる人はこれからどれだけ出て来るだろう。
過去を振り返る事を好まなかった彼女にとって、わたしのようなファンは歓迎すべき存在ではなかったかもしれない。だが、残念ながら全ては過去になってしまった。
この先、時の流れが彼女の存在をどう受容していくのか、どのみち今ここでわたしに知るすべはない。





最後の大女優 山田五十鈴
http://www.geocities.jp/noa6171/recentwork/yamada/yamadaisuzu1.htm