民主政局報道と北朝鮮報道が相似形で同時進行していること

金正日、カーターぶっちぎりの件は、やはり後継者問題と複数の関係筋がリークしてるようだけど、北朝鮮問題の報道がフリーズするのは慣れた。ただ不思議と、小沢政局もほとんど同じ状況になっているように見える。
各社飛ばしまくって、ほとんど混乱の極みにある。鳩山さんの仲介がまともに機能すると思う方がおかしいし、あんなに逐一追い掛ける必要があるようには思えない。
結果的な誤報がいくつも飛ぶのは、誰が見ても正常ではない。北朝鮮のような国への取材が成り立たないのはどうしようもないが、国内政局がそれと同じとは何とも変な話だと思う。
実際には民主党内部が右往左往して、誰もが責任を知らずぶれまくるゆえに、取材に値する確度のある話がとれないのだと思う。


北朝鮮関連はわざとリークして、マスコミに記事にさせているかと思う時があるけれど、正男が日本メディアの取材を受けていた例の件は、ひどくあからさまだった。
あの時日本メディアは手紙代わりに使われているように見えたし、正男はかなり危ないところにいるように見えた。
あの時取材する側が、彼に利用されているのに気付いていなかったとも思えないけれど、情報の少ない分野であるだけに、そのまま取材し記事にせざるをえなかったんだろうか。


両方ともかなり特殊な状況下の事ではあるけれど、政局報道の推移を見ていて漠然と、取材する基本の枠組みがもう古くなって来ているんじゃないかと思った。民主党がグダグダだから外に見えるものもグダグダになるといえばそうだけれど、夜討ち朝駆けを前提としたとりあえず体育会系な仕組みでは、もう現実は捉えられないんじゃないか。
なぜかっていうと、現実が政治を追い越しているからだ。今やもう誰も政治には期待していない。政治を追い掛けている限り、新聞をはじめとしたメディアは、その枠を超えた現実と政治の齟齬を、捉え指摘することは不可能だ。


ネットが新聞の経営を脅かしているのは事実でも、日本の新聞社の経営を成り立たせている戸配という特殊事情は、日本独特の古い体質を示している。戦後朝日を事実上組合が乗っ取ったのは、販売店の協力ありきのことだった。「記者は一流、売るのはヤクザ」と謳われた現実はまた、非常に日本的な構造を映してもいる。


テレビ番組ほどに作っている側の劣化は感じないけれど、政局報道については新聞社そのものがプレイヤーとして出てきてしまう。読売の記事などナベツネがどう動くかという興味でしか読めない。それはそれで外野には面白いが、妙な状況には違いない。


今の小沢政局が始まってから、フリーの報道の人達の中に、思惑を感じる意見も散見される。小沢さんが絡むといろいろと露骨に見えるのでぎょっとすることが多いが、ああいう人達が記者クラブ自由化で入り込むというのも、感じることが無いこともない。取材の機会均等には反論はないが、組織に守られない人間の中には、特定の意志に関わっているように見える人もいる。ゴロがいてこその業界ではあるんだろうけれど。


アウトローは主流がいるから存在している。現実にはその構造の担い手のひとりであり、不可欠な役割を割り振られている。同じ地平に立った時、以前の立ち位置を捨て去るのが大変なのは実際には彼らだったりする。
頭の切れる奴にはそんなのは関係ないけれど。


各社小泉否定にやっきになっていることこそが、一番わかりやすい表出なのかもしれない。みんなの党の渡辺氏は、有権者の中で潜在的小泉改革の継承者として意識されている。期待度の高さはそのまま小泉政権の記憶だ。だがそれを右も左も隠蔽する。


菅さんの失敗をマスコミが、消費税を上げるとしたせいとすり替えたことにも、同じ構造が表れている。実際には、菅さんの当時の他の発言や行動と合わせて定見の無さが見透かされて、支持が離れた。元々現実的政治能力があるかは常に懐疑的に見られていた人だし、就任直後、菅内閣支持率に貢献した人の脳裏にも、あのお遍路姿はちらついていたはずだ。
そもそも消費税を上げるという発言は自民党のものであって、国民に容認されていると知っていたからこそ菅さんはそれを上書きした。消費税発言は自民党の上前をはねたと冷ややかに見られてはいたが、そのことで反発を受けるはずがない。


現実に消費税原因論を流布した人達は、本当に税率上げ宣言のせいと思ってたんだろうか。それともそういうことにしたかったんだろうか。特定のメディアだけが言うならばわかるが、どこも横並びで既成事実化しようとしていた。あげくにそれを永田町に吹き込んで、民主党と菅さんを乗せてしまった。
今までもこんなことはあったけれど、こんなことでメディアは政治を操作するのかと、あらためて背筋が寒くなる。民主党は組織が未成熟な為に吹き込まれたことをすぐ鵜呑みにする。永田メールの頃と同種の体質は未だにこの党を支配している。


ジャーナリズムの中でもさすがに消費税の件は指摘する人が何人かいるけれども、見るかぎり個人単位だ。


あらゆる組織が寿命なのはみんなわかっていても、ではどうすればいいかというのが、誰にもわからない。
「閉塞感」という言葉をメディアが使う時、必ずあるぬめっとした感触がついてくる。定年前後の世代の方々は、特にカタルシスを感じられたりするあれだ。現実に向き合う事を阻害し続けた彼らが、実際には閉塞に向かう道を舗装していたのだが。
本当の閉塞感は今ここにあり、いま右往左往をいろいろな形で見ているのだと思う。以前なら鳩山元首相は、金を出したからといって主導権までは握れなかっただろう。自民党はよくも悪くもそういう組織だった。(作ったのが祖父一郎であることを踏まえても)


新聞社が戸配で延命するように、過去の存在と言ってよかった連合が影響力を持つ。
大枠の政治の流れがおそらくどこにも辿り着かない事に、報道の現場の方の迷いが生じているのだろうと想像する。わかっていて停滞の中に留まるのは、誰も同じだ。



菅首相支持率下げの部分加筆しました。