現実と現実の間

実名主義はそれはそれでありだろうけれど、色々の批判を除けて、弱者というものへの感性が欠けているかなという気がする。「はてな的」弱者ではなくて現実の弱者。


私は書きすぎているようで現実の生活について何一つ書いていない。私の体のことなど誰も知りたくはないだろうが、現実にはそれを隠して書き続けるのには無理がある。今更だが私には最初の頃の黒崎さんや他の人達の私への対応はあまりにも辛かった。私は本来一人で書く事以外しない人間だし、行動を起こす時誰とも接点を持たないのは自分の現実の行動スタイルに近い。疲れきっていることを隠していて、この人達は私の現実でしかない弱さを感覚的に嫌うだろう事も知っていた。私は現実の判断も思考もできるけれど、自分自身を現実に置いておくことはできない。以前のブログを知っていた人達は私の体のこともメチャクチャさも知っていたけれど。だからもう何も書きたくはなかったのだけど。


何かを書き始めたことは自分の人生と引きかえのようなところがあったし、弱い人間の声というのはくだらなくて読むに値しない。無関心と、揶揄と嘲笑しか誘わない。
弱さはくだらなさにどんどん引きずられていく。私は眼前にその光景を見たいと思っていたし、私の弱さ愚かさは他の問題と何も関係はなかったから。


私が何を書いたところでそれは読まれない。いつも生きていこうと現実とそうでない場所の接点であがいていて、その試みはいつでも何度でも同じように挫折した。「正」の世界には決していられないし、何度も何度もそれを思い知らされた。私の書くものはその線を越えられない。現実を書くことができず、私の身体は現実を捉えず、まやかしの苦しみを文字にすることしかできない。だから書く必要などどこにもない。読んでいるほうがうんざりしているのは十分過ぎるほど承知している。



もし誰かが私の周囲の人間に理不尽なことをするなら殺してやる。それはその人を大事に思っているからではなく、単に私がそういう人間だからだ。
理性と理性を超えたものが直結するのが私という人間なのだろうけれど、考えてみればその非常手段を使ってしか目の前の問題すら解決できなかった。最初から、それでまともに生きていけると思うほうがどうかしている。