troubadour

映画の中で、主人公は失われたフィルムを探し旅をする。現像されたフィルムは決してスクリーンに映し出されず、彼は恋をする。
この監督の映画の中で、ウェディングドレスは足元に絡み付く鎖と、悲劇の象徴として登場する。母親が結婚するはずだった男を想い続けた女は、男への復讐のため、母のウェディングドレスを身につける。そして男に自分を殺させるのである。男にとってドレスは愛した女そのものであって、なぜならそれはその女が殺された時着ていたものなのである。


たとえば若い頃に夢を見たならば、喪失の痛みは鮮烈だろうか。何も得られないことを知りながら、しかしどのみち行き着いたところは変わらない。彼らには辿り着く場所はないのである。絶望はあまりにも当たり前の現実であって、旅に旅を重ねて、安住する場所は見つからない。その終わりのない放浪に疲れて生き続け、取り返しのつかない破綻など日常でしかないことを知る。


つけた名前はその象徴であって、けれどもまだ何者かになりたい誰かには、目にしたところで何もわからない。引き裂かれた恋人同士が、けれど彼女に絡み付く鎖に、彼は為す術もない。いずれそのしがらみの内で力などなく声などなく全てを終えるのだとしても、希望などどこかにあるというのだろうか。そんな幻が犯した罪はどれだけだというのだろう。
あなたがそのまま死にたいと言うならば、この腕に抱いて見守ってあげる。たったそれだけ、おそらく人を愛せるとしたらそれだけ。


明日の長さは?

そんなこと、私に答えられるはずはない。