忘却について

また子供の頃の話。


私はその日いつものように遠足には行けなくて、待ちぼうけを食らうような気分だった。
夕方になって、普段話したこともない男の子がみんなに配られた遠足のお土産を持ってきた。ひどく意外に思って、けれど気に掛けられていたことが嬉しかった。
結局それから私は待ちぼうけを食らい続けることになる。「皆」と同じことをするのは、私には無理だったからだ。そこにいない人間を気に掛けてくれる人は誰もいなくなった。いないという事がどんな事を意味するのか、ふと考えてみる人はいなかった。


自分は辛くはなかったのだとずっと思っていたけれど、そうではなくて我慢していただけだと気がついた。四つか五つだったあの頃のもう少し前から、その姿のまま自分は我慢していたのだった。
いずれ身体の不足は顕になって、私はここにいられなくなるだろう。辿り着くべき場所はなくて、人の作った秩序に自分は足りない。その嘘を吐き続けるほどの覚悟は私にはあって、けれどまだそれに潰されるものだとはわかっていなかった。
性根は弱くない。けれど現実に社会的な生きものとして、私は弱かった。そして社会がなければとうに死んでいた。