現状について

例の文章について何も書かなかったのは、自分の立場で何か書くべきか書かないべきかわからなかったからだが。
15日のエントリやその関連について、微妙な部分に立ち入る苛烈な内容であった事は確かで、削除が本人の負担の軽減になるならば削除します。(その場合議論バランスとして公共の福祉関連のエントリも削除していただきたいのだが)



うちに書き込まれている方は第一に黒崎さんに正面から物を言われるのが筋ではないかと思うが、なぜここのみで匿名で物を言われるのか。怒りは尤もであるし罵詈であろうが怒りと指摘はそのまま受け取る。自分が負担に関与しなかったとはまるで思わない。
しかしそのやり方がいったい誰の記憶に残り、結局は誰の足を引っ張る事になるのか。


(一部削除)


とりあえずコメント欄閉鎖はせず、コメントは記録として全て残す事とします(荒れの影響が他に飛び火する兆候が見えれば、方針は転換)





15日に上げたエントリが苛烈な論調になったのは、話が「オウムと政治」というフィールドに持ち込まれたのをとどめたかったからだが、それと公共について言及されるにはあまりにも微妙な立場の方ではある。懇談会に関しての見解の根本でその団体の政治参加という論点が出て来るのではというのは予想していたが、現在の立場からのこの種の発言は、当人の測れない影響をもたらす事がある。これについてはあまり本人は自覚されていないと思う。


内心の未整理はそのままその団体と公共の捉え方に反映するし、だからこそ過去のそこへの関わり方について内心にも踏み込む形で言及することになったのだが、その整理つまり客観化がある程度されるまで、政治・言論等とは距離を置かれるべきではないかとは思っていた(これに近い見解を持っている方はおそらく私だけではないのだが)。厄介なのはそういう発言される場を既に持っておられた事だが。


当該団体の公的な形での政治関与参加を積極的に是と捉えるならば、尚更話は厄介になってくる(法的原則の話はここでは置く)。公共の捉え方そのものも前段の言及に規定される部分がある。



負担を取り除く為にいったんどんな形でも区切りをつけるべきであろうとは思いつつ、結局それらも無視できずずっと苛々の原因になっていた。そのせいで対応が理不尽なものになっていたかと思う。これについては相手に負担になっていた筈だし、あらためて謝罪すべき事だと思っている。




また現在eshekさんが考えてらっしゃる事がチラチラ見えるのだが、これは鮫島さんの言う通りオウムという団体についての見解をきちんとまとめる事無しにされるべきではないのではないか。進んでいた話題の微妙さをeshekさんは理解されていなかったが、あの時の私の目的は議論の流れを断つ事そのものだった。選挙云々の部分についての指摘も考えていた以上のダメージを与えてしまったらしい事は未だ後悔しているが、あなたが私の不十分さとして認識されているところは、私が意識的にぼかして書いたところだ(追記 ここは15日のエントリをさしていない)。公共と内心は決して不可分ではない、といえばおわかりになるのではないか。


定義をしろといわれる事が、私に要らぬ事ばかり書かせることになっているのは見ていてお分かりのはずである。書きながら当人への負担や周囲への影響を理解しなかったわけではない。もう少しうまいやり方もあったのかもしれないが、私にはそれができなかったし、好きで繰り返し言及していたわけではない。ここのくだりはおそらく誰かに揶揄されるだろうが。