夏バテ?


http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/20688220.html


あちこち、随分と心配させてしまっているらしく。
けろやん。も歳の割に茗荷って随分渋いなあとか、タウリン飲めといわれてもとか、そういう突っ込みも一応しておいて。


ただ、このブログは元々戦略に基づいて作ったもので、当初の戦闘体制が通常なわけではないので、あのペースからは変えないとというのはあります。元々前のブログ閉めて、しばらく書くのをやめようと思っていたので、本当いうと、今はあまり物を書く体勢ではなくて、書く事がずっこける。実は、このブログを始めた当初と、体調自体はそんなに変化なかったりします。


で、さっきひばりのベスト版を、ちょうど引っ張り出してきた所。読んでおやまあと。

ちなみに今聴いているののはこの人。
http://www.pjharvey.net/

OhMyNewsについても

思うところはあるけれど、ズバリ政治向きの事をこの暑さで書くのも鬱陶しい。どうせ話が挙がった時点で現在の状況は見えていたので。これは、割と有名なやつ↓


オーマイニュース 座談会



浅野健一まあこの人はいつもこんなんだが。
鳥越氏も小泉に敵意を剥き出しにして、政治的に使う意図を隠そうともしてないし、一報道人としては有能な人ではあるにしろ、こういう役回りはちょっとね。ベリタとかと違って、低空飛行のままやってくというのも難しいだろうし。


元々あの辺の韓国のニューメディアというのは、盧武鉉を当選させた「左傾化」の動きであって、ぶっちゃけそりゃ裏に北いるよというのは常識の範囲内(追記 元々は、ということね)。韓国はネット・ジャーナリズム関係が確かに盛んなようだし、仕組みとしてだけ取り入れるなら問題はないのだけれど、まあこうなるよねえと。どっちにしろ、今は昔と違って左寄りならカッコいいという幻想は消えてしまった。商売としてこれでいけると思った孫社長は、ダメダメでしょう。


で、ポータルサイトの話が出ていたけれど、韓国の方では政治がらみでいろいろあるみたい。盧武鉉政権は、自分と対立する保守系の三大新聞を潰しにかかっていたし、韓国のメディアを語るなら、それにまつわる政治背景も論じていかないと危ないんだけどね、と思う。

同団体は同月はじめ、格ポータルサイトに送った質疑書に対する答申を来週中に公開する方針だ。金ヘチュン自由主義連帯の政策室長は、「ニュースの編集権を通じ、ポータルサイトが権力化するのを防ぐためには、ポータルサイトがニュース記事のタイトルを勝手に変えることができないようにし、提供された時間やマスコミ企業別の紙面の配置によって記事を載せるようにするなど、根本的な『編集権乱用禁止措置』が不可欠だ」と強調している。


インターネットメディア・ロンアジアネットのピョン・ヒチェ代表は「情報通信部の公務員が最近、ある朝食会を兼ねた懇談会で『たまにポータルサイト側を呼んで戒めたりもする』という公の発言からも、ポータルサイトと政権の関係を垣間見ることができる。ポータルサイトの世界では権力と金がものを言うわけだ」と指摘した。


ポータルの権力乱用−権力化に見張る市民団体  donga.com Japanese donga


ポータルサイト初期画面50%以上をニュースに Japanese JoongAngIlbo

普通の女

はてな周辺を見ていると、フェミニズム関係の議論が多い。他の所ではありえないというか、私としては基本的な発想が違いすぎて、見る気がしないというのが本音である。フェミニズム系の女性を見ていると、体質そのものから違うなと思う。私にはそれらを巡る議論がしばしば過剰に論理的であるように見えるのだが、これはフェミニズムに限った話ではない。ただ、フェミニズム関係の女性を見ていて、人を見下す空気を感じる事がある。彼女たちにとっては、理解しない人間は矯正すべき存在なのだなと、時にはっきり感じ取ることができる。


一連の議論を(ちょっとだけ)見ていて、そういえば満員電車は痴漢が多かったなと思い出したが、そこで女性専用車両是か非かと問われても、私はそれに興味をもたない。その辺り、発想に全く接点がないなと思う。一度反ジェンダーフリーの論調に辟易して、ジェンダーフリーについて書いた文章を読んで納得するところもあったのだが、現在のバックラッシュのお祭り騒ぎを遠くから見ていても、相手側を徹底的に見下す空気を感じる。あれはどうとかならないかと思う。



ただ当事者である女性が、女性の社会進出とか、自分においしい所だけは認めるけれど、その元々の発想は認めないよ、理解すらしようとしないよというのは勝手な話であるだろう。女性の社会進出というのは、社会構造の根本的な変化であるわけで、その根本を深く考えもせずとりあえず支持というのは、随分と足場が不安定である。
で、この辺りの感覚・所作は、言うのは何だが、非常に女性的だなと思う。家族制度は過去のものとして、それを巡る義務は果さないが、遺産はきっちりもらうわよ的発想というか。深く考えないで流れで自分の都合のいい様に流れでやってくんだけど、痛いとこ突かれたら逆ギレとか。


などと書きながら、もう既に考えがずっこけてきているのだが、「女性の立場から社会を考える」という発想自体が、自分にはない。つーか、大部分の女にはない。
更に言えば「社会を良くしよう」という発想も自分にはひと欠片もない。これについては全く私特有の欠陥ではあるが。


フェミニズム的発想になるかならないかというのは、社会といいうものをどう捉えるか、自分とどうかかわるかという意識差でもあるんだろうなと思った。



で、結論は別にない。
つーか、自分を含めた普通の女がどんな存在であるか書こうかと思ったのだが、途中でコケた。要するに「無意識」であるということなのだが。
流れに任せてその場その場で無意識に生きていくのは女性の才能でもあり、人の必然でもある。その無意識を私は愛するし、その空気の中で社会が回っていってくれたほうが私はいい。と書きながら、無意識の定義が、女性のそれと社会のそれとごっちゃになっている事に気がつく。


ダメだ。こういう議論は私は徹底的に向いていない。