不思議の国の論理

文作動機

今のところumeさんには物証確認を一緒に取る気がないという事なので、限られているが確定した事と共に印象を記してみた。

http://d.hatena.ne.jp/j_m_w_t/20060612#c1150162022


それでもうアウトなのだが。
てか、そうなる事が皆わかっていたから、止めていたわけだが。
ume氏の非常に特殊な認識を読むのもそれはそれで面白いのだが、自分たちが出てかなかったらBBの方が困る、と堂々と口にするのが凄い。いや何つーか、トリル節で余計わけがわからなくなっているが。しかし何でこれをコメ欄でやるかなあ。

自分らで疑惑を磨き上げるのが無理ならジャーナリストに頼めばいい訳で。』 (2006/06/13 01:32)


コメ欄にもあったが、ジャーナリストの仕事を勘違いしているぞなもし。
つーか、佐々木氏達ジャーナリストは、検証なんかやらなかったし、それを問題視もしていなかったようなのに、なぜ突然そういう発想に飛べるかなー


この人、ちゃんとした大人なんだろうか。
三人三様、言う事が特殊すぎて、不思議の国に迷い込んだ気分。

佐々木氏関係小ネタ

極東情報網録 the Far East News Net blog:月刊サイゾー2004年10月号に掲載された「極東情報網」の記事


雑誌記事最後の方。
つまり、わかっててゆーとんのよね、佐々木氏は。元々思想的にそんなに偏ってる人ではない。

彼は自分の言っている論理など信じていないし(最初からそのことは皆判っているが)、他人を安く見て、適当に場を治めようとしただけの事。その「適当に場を治める」こと自体が、まったく適当でなかったわけだが。



そろそろアーレフ関係でいろんなことがでてきたが、その辺はまた改めて。
ジャーナリストさんたちには、やった事の御代はちゃんと払ってもらうつもりでいるので、よろしくね。

湯川鶴明氏、「ブログがジャーナリズムを変える」のですか?

 けろやんブログを通じて、自分の本の予約販売が始まったことを知る。
 6月24日発売だそうです。本のタイトルは「ブログがジャーナリズムを変える」です。ブログ「は」ジャーナリズムを変える、だと思っていた。NTT出版の社長の鶴の一声で決まったそうです。まあ僕の提案だった「メディアの融合と参加型ジャーナリズム」というインパクトのないタイトルよりはましか。


相変らず「レスポンスはしないが、本の広告は欠かさない」湯川鶴明氏。私にはこの状況で、この文章を、このブログに書ける神経が理解し難いが。

NTT出版の社長氏は、今回のことをご存知ないのだろうが、現在の状況を鑑みるに、このタイトルでは「ネットにやられてたまるか」と大差無い。「が」と「は」の問題などではなく、湯川氏。

というのは、まだまだネット上の言論空間は未成熟だし、ブログを通じた議論は健全なものばかりではないからだ。
 それでもブログというツールには非常にお世話になったという思いが強い。ブログを通じて多くのことを得た。


(苦笑)

ブログを通じて、尊敬できる人間に数多く出会えた。その数ざっと、20人。文章力の優れた人、発想の豊かな人、分析力のある人、心の清らかな人、前向きな人、人を元気にする文章を書く人、人生を楽しく生きている人・・・。それぞれに異なるすばらしさを持ったブロガーたちだ。ほとんどの人は僕より年下だ。多くの人は社会的に無名で、実名が分からない人もいる。それでもこの人たちは、僕に生きる活力を与えてくれる心の師である。


その「僕に生きる活力を与えてくれる心の師」を、訴えろとあなたはブログで煽ったわけだが。
そういう裏を見せておきながら、「心の清らかな人、前向きな人、人を元気にする文章を書く人、人生を楽しく生きている人」などという「いかにも」な形容を使われるのは興ざめである。(このエントリのkatshi氏のコメントにも、端的に本質が書かれている。)




けろやんブログを読んでいるとあるし、関係ブログは見ておられるご様子。売文氏のところでのトリル氏の「活躍」も、チェックしておられるのではと思うが、のちのち「知らなかった」でお逃げになられないよう、urlを。http://d.hatena.ne.jp/j_m_w_t/



最後に。

富士通が降りた時、あなたは今回と同じように綺麗事でまとめ、あとでその嘘は白日の下に晒されてしまった。裏ブログを読んでいるのは皆、それを見てきた人たちです。その目の前で、あなたは茶番を続けている。何も答えないまま、そして落とし前をつけないままに。
黒崎氏の件について、ume氏の事について、あなたにはやらねばならぬことがあるでしょう。ジャーナリズムを語る前に、自分自身の所作を問わねば意味がありません。


なぜ私も含め、ブロガーがこんな事をやらねばならないのでしょうか。ジャーナリストが仕事を実践していれば、こんな事はせずに済んだのです。今回のタイトルについても、私は本音の所、恥知らずな命名であると思っています。

ネットのジャーナリズムを語る前に、あなたはジャーナリズムの仕事を遂行されるべきではないですか。ご自分の軽挙をあなたは認めたけれど、一私人の立場としても、あなたはume・泉さんの件に関して、何らかの決着をつけねば成りません。


あなたや佐々木氏や歌田氏のような方がネットジャーナリズムを担うというのなら、そこに、社会に本当に必要なジャーナリズムなどありません。あるのはそれらしい外形だけであり、泉さんがその一翼を担うというなら、尚更論外です。

こう書きながらも、私はあなたが答えるとは思っていません。佐々木氏も、泉氏も、何も答えていませんし、あなたも同じことでしょう。しかしもう誰もあなた方の言う幻のジャーナリズムなどに期待していない、それが即ちこの件の結果という事です。あなた方が答えなかろうが、逃げようが、その姿を沈黙の読者はずっと見ているのです。
予め言っておきますが、私のあなたへの言及は、これで最後にはならないでしょう。佐々木・歌田両氏のような、意図せぬプロパガンダをやったわけではないが、この先状況をクリアにしていく中で、名を挙げる事があろうかと思います。


本来、ジャーナリズムへの言及など、今回要らぬ物だった筈なのですがね。

開き直りで飯が食えれば


仮想報道 vol.438 (今ふう)ジャーナリズムとは何か 歌田明弘


レトリック、カトリック、エレクトリック。
(今ふう)のひらがな部分が極悪。
無責任を堂々と論理にするところ、80年代気分が抜けてない歌田さん。
実に「ネット的」じゃない。問題はそこじゃないけど。


社会を語るのに資格は要らない。
言葉が何か起こしても、「俺は知らない」。



あなたはちゃんと修正を入れた。それはいい。
その後。しかし今は言わない。


自分がとても好きな歌田さん。
問題はあなたの在り方じゃなく、やった事、やらなかった事。


言論を操るのなら、それなりの責任を持ちなさい。

北朝鮮人権法案については、

ちゃんと書き直す。こないだのは批判が主眼だったから、偏っているとこがある。
はーあ、一仕事だよ、これ。
すんげえタッチーなところも関係してくるし。


追記
長島昭久 WeBLOG『翔ぶが如く』:『北朝鮮人権法案』で考えさせられたこと

この引用コメント、違う。長島議員。こんな事書いていてはダメです。
非現実的と言われて当たり前。