「評価」すべきこと

私は感情というものを指標に文章を書いてきたけれども、それが正しかったのかよくわからない。
それは酷く間違っていたのだとも思う。

書くべきものを書かなければいけないけれども、自分が考えていた事について唖然とするような事を忘れている。
自分に「老い」が忍び寄っている感覚もあり、なぜ今になってこんな事がわかるようになるのかという呆れのようなものもある。


日本語圏の外を見ていてひとつ痛感するのは、ここには「評価」の仕組みがないことだ。
わたしが何か書いて誰かにそれが届いても、それは程なく霧消してしまう。無知を糊塗する為の冷笑に再び埋め尽くされて、結局また一人で取り残されてしまう。
そんな繰り返しを、今更もうやる気にはなれない。


これまでわたしが一番苛立ったのは、予防線を張りながらこちらに関わろうとした人達だった。
彼らはあまりに擬似的な「表現」に慣れすぎていた。そして多くの人は自分が何を求めているかすらわかっていない。
こう書いても、おそらく大半の人からは傲慢だと言われるだけだろう。そしてその「予防線」がどれだけ馬鹿げているか、社会をいかに損なっているか、その臆病さにもう付き合う気がないことを、わたしはここで繰り返し書いてきた。そしてそれは理解されなかったと思う。


未だに誰もがお気に入りの「教訓」をひきだし続けている東京五輪のスキャンダルは、日本の広告界の空虚さをあまりにあからさまにした。
表現がされる必然を、それがもっと自然な環境でされるべきである事を、頭の幼い彼らは理解していない。ああした人々に空間を牛耳らせている限りここにある息苦しさは変わらないだろう。

彼らも我々も、彼らの仕事の自分に対しての影響をおそらくは過小評価している。気がつけば今の我々の生活は彼らの生み出したものばかりに囲まれているというのに。
彼らの近視眼的な感性と、それによって生み出される仕組みと、そしてその仕組みを再生産する貧困は無論我々の社会の必然であるのだけれども。


遡れば、このブログを始めるきっかけはあるカルトに関わる事柄だった。誰かがカルトや過激主義に真実を見つけたと信じてしまうのは、そこにある「求める感覚」を、社会が(そして擬似的な物しか知らない彼らが)無自覚に押し隠してしまうからだ。おそらく本当の意味での禁忌というものは既に失われているし、であればその禁忌は空虚なものでしかない。


伝えなければならない事があるのはわかっている。ただ糸のような繋がりを辿って何かを書くにはあまりに疲れてしまった。わたしの慣れ親しんでいた物も多くが失われて、伝える手段もとても少なくなった。

もしわたしが健康であったら、「評価」の仕事を自然としていたかなと思う。自分が感じる物を他人に伝える事の意味を、わたしは少なくとも知っているから。


今これを書いていてひとつ思うのは、手垢のついた表現であっても、使い古された切り口であっても、おそらく使うことを躊躇ってはいけないという事だ。例え同じような反応しか返ってこないのだとしても。


ただこの文章を多くの人に伝えようとする努力をわたしはする気がない。
それではいけないとわかっているけれど。