父を見ていて、そう長くないかな、と思う。
この人は、自分が死んだらお前はどうするのか、とは聞かない。


わたしは、それでも気を使うから、彼にとっては優しいところのある娘なのかもしれない。
でも父はただの一度もわたしの身体を気遣う事はなかった。
わたしが、気遣う言葉をかける事が、父にとって小さな救いになっているのは知っているけれど、でも、その逆は一度もなかった。


別に、父だけでなくて、男の人全般が気遣われる事ばかり求めるんだと知っているけれど。



新しい友人と長く続かないのは、一から自分の事を説明するのが面倒臭いからだ。
わたしにはできない事がたくさんあって、でも世間の人にはそれは当たり前にできる事で、それを説明し続ける事に疲れ切ってしまう。


最初のその前から、「それでも」、「そんなものは」。当たり前のように投げ付けられるのを、説得しようとする程わたしは惨めでも間抜けでもない。
不義理だと思われても、ひどい奴だと思われても、あいつは馬鹿なんだと思われて、いなくなってくれと思う。いっそ、目の前から。



以前ブログは窓だと書いたけど、この窓は今は半分閉じているし、いつ完全に閉まってしまうのかわからない。
それはずっとわかっていた。開けっ放しにしておく事はわたしにはできないから。
たぶんやっぱり、それは外の人には見えなくて、ここは書き続けるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないし、でも生活の中で悪いなりにできていた事も、現実にどんどんできなくなってきている。


頭はイカれてない。今でもまだ人よりも能力を持ち合わせているんだと確かめられる。
でもどうしようもないじゃないか。
わたしは面倒臭い奴じゃないけど、わたしの人生はわたしの手に負えない。


薄い笑い顔で憐れまれているのがわかってしまうのは、不幸な事だと思う。
事実がそんな事ではないと言っても、誰もそんな言葉を聞く気はない。普段そういう連中を放っておいても、全てにおいてそんな態度を取っていたら、わたしはきっとおかしくなってしまうだろう。


誤解されるのがわかっていて、内心を吐露するのは引き裂かれるように辛い。
わたしはここにいる。何もできなくても、誰もこちらを本当には見ないのだとしても、全て手に負えないまま破綻してしまうのだとしても。



父が死ぬまでわたしの行く末を気に掛ける事はないんだという事も、わかっている。