漠然と

原発事故の後を見ていて、なるほど刻まれたはずの歴史は、着々と書き換えられて行ってるなと思う。サイレントマジョリティが社会を動かさない仕組みは健在だ。


自分の持っている力は、歴史を確定させられる事なんだと今更ながら思う。思っていたより珍しいものなんだよな、たぶん。


自分の一番書きたい事ってのは実は書けなくて、今も何を書いて何を書かないのか、考えながら書いている。
その曖昧さが読む人への伝わり方の弱さになるし、はっきり書けば魅力に欠ける文章ということになる。
わたしが自分の名前を明かして、社会の一員として書くなら、もっと明確な、意思の明瞭な言葉になるんだと思う。無論それには健康というものが必要だけれど。


同じ所で同じ事をやっていると、だんだんと自分はそれに飽きてくる。ここで書き始めた頃に比べると、同じブログと思えない程形も変わっているし、音を組み合わせるのも結構おもしろかったけど、だんだん音楽の方に偏重してしまって、またなんだかなと思っていた。
自分の感覚を再現していこうとするのは楽しいし、はまれば読む人にとってもおもしろいものになると思うけど、それを許さない状況ってのがなぜか出て来るんだよな。


でも結局ここもいつまでやってんだろな。ブログを移動させようとかも何回も考えたけど、それですぐやめてもなんだしと、とりあえずこうなっていて。
結局、それで書ける事書けない事をまた考えてる。
健康だったら良かったのになあ。