野良猫

野良猫の気質って、昔と比べると如実に変わってるなあと思う。人間が触る事を許さないみたいな、野生の強さはもう残ってない。
それが混血のせいなのか、人間との距離感のせいなのか、これって理由はわからないけど。


昔、うちの物置で猫が子供を産んで、一回目の子達はそのまま独立していったけど、二回目に産まれた子供達に、なんとなく情が移って飼う事になった。
そのあと、そのまた子猫が産まれたり、他の猫が迷い込んできたりで、入れ替わり立ち替わり、結局猫達とは長い付き合いになった。
親がダメって言っても、どうしても来る猫にご飯やっちゃうんだよね。そうしてる内にどうしても情が移っちゃうし。


猫を飼ってる上で、やっぱり避妊手術とかってしたけど、長い目で見ると、その猫達の血は絶えてしまうんだよね。気がつくと誰も残っていない。
そうはいってもオス猫はサカりの時に家を出ていってるわけだし、もらわれていった猫は子供を産んでいるはずなんだけど、だけど、あの子達が産まれたあの場所にはもう誰も残っていないんだよ。


野良がなんで増えすぎないのか、なぜ野良犬がいないのかって言ったらやっぱり保健所ってものがあるわけで。草の根の動物愛護の活動してる人って、そういう現実が気になって気になって居たたまれない人だと思うんだよね。
勝手に産まれて死んでってより、まず我々の作為がコントロールしてる背景がある。見えないけれどある。


人間と犬猫ってのはずっと同じ空間で生きてきて、常に摩擦はあって、でも犬は漠然とした風景からはいなくなって、猫ももうそうなるのかもしれない。
今は病気があるから、室内で飼ってくださいって言われる。それが理由のあることだってのはわかる。
きちんと面倒見ろっていう言葉も、今は暗にあまり外に出すなという事を指している。昔からある摩擦ではあるし、言ってる人にその自覚が薄いとしてもね。そしてそれはつまり、猫との共生において、今起こっている変化の指し示す方向なのかもしれない。
でもそれならば猫は隣人ではなく、もう愛玩動物でしかいられなくなるのかもしれない。その変化って、絶望的に大きなものだと思う。
我々の知らない内にメダカはほとんどいなくなってしまったけど、人の生活の変化が周りの生き物を巻き込んでいく。猫の病気に関しては人間は直接は関係ないし、ずっとそうやって周りを巻き込んできたんだけれど、でも我々はもう少し自分達の起こす波紋に自覚的であっていいと思う。結局それが人の知性ってものでしょ?


例えば昔の絵巻物には、乞食姿の人間のそばに、痩せこけた大きな犬が描かれていたりする。飼っているっていうんじゃなくて、住んでいる空間が同じって事。西原理恵子がタイではそんな感じだって書いてたけど、同じ距離感だったんだろう。
昔なら、今の「猫の餌やり」みたいな距離感も成立しなかった。そもそも猫はネズミを獲るために、家にいるものだったから。でも今、そんな空間どこにもないよね。もう関係性は変わってしまっている。
野良猫も場所によってはほとんどいない。生活が成立しないのだと思う。その変化ってどんなものなんだろう、と思う。あまり書きたくないけど、その同じ状況は、今生きている世代の人間にも、大きな影響を及ぼしているはずなんだよね。心にも体にも。


犬や猫のあり方っていうのは、わかりやすい我々の鏡であって、善悪とかではなく、あなたのその考え方は間違っているとかではなく、我々の見たくないものまでも映し出してしまうものだと思う。もちろん我々の愛情をも、そこに映すわけだけど。
猫を飼っていると、近所の小鳥を取ってきてしまったり(実は反対の立場で、うちが小鳥を飼ってた方だったんだけど)、どうしても周りと摩擦は起きる。これはもう猫が生き物で、ハンターである限り、ある程度はどうしようもないことなんだけれど。
逆に文句を言ってきてた人が、結局猫に情が移って何匹も飼う事になってたりとか、いろんな事があるけどね。
うちの飼い猫のはずがいつの間にか別のうちの飼い猫になってたりとか、近所の犬の散歩になぜかうちの猫が連れ立ってたりとか、そういうのしょっちゅうだったし。


飼っているうちには猫も世代が変わって、はっきり猫達の気質も変わっていった。どんどん依存心が強くなって、甘えてくれるのはいいけど、大丈夫なのかなって。
同じ猫への餌やりでも、たぶん昔とは少し様子が変わっているんじゃないかな。マンション住まいが多くなったから、うちみたいになし崩しに飼うということは少なくなっただろうし。そういうのが、猫との距離感を決定的に変えてしまったんだと思うんだけど。
猫好きのきっついおばさんや、迷惑なやり方する人ってのもまあ昔からいるんだけど、なんかでも、いろんな人がひっくるめて扱われてるなあって思うとこもあって。文句言ってる人達もそれぞれ迷惑のポイントって違うはずだしね。



後でurl貼れたら貼るけど、ギリシャとか、あの辺の国って街中で平気で大型犬が寝くたれてるんだよね。野良なんだけど野犬化もしてないし、狂犬病とかどうだったのかなと思うけど、まさに文化の違いだなあと見ていて思う。
昔の日本でも、もっと殺伐とした共存の姿だったんじゃないかな。この辺、ほんと興味あるんだけどね。誰か何か知らないかな?生活の姿ってほんと面白いと思う。



そんで、話戻るけど、助けたいと思って行う愛護活動が、結果的に一番歪めているのかもしれないとも思うし。避妊手術とかね。でも、わたしには決して活動する人達を責めることはできないけれど。
この話には結論があるわけじゃなくて、正直ゴタゴタには巻き込まれたくないんだけど、数日前にはてなで猫が話題になってて、珍しくコメントして、それに反応が返ってきてたりもしたので、こういう話しても、少しは耳傾けてくれる人もいるかなあ?と。
後で多少書き足したりするかもしれない。あまり推敲もなしに、漠然とだーっと書いただけだから。


なんかわかってたけど、全然書ききれないなあ。




<追記>

ギリシャの野良たちの写真を載せてらっしゃるブログ
ノラちゃんのギリシャ!