「読まれる」って何?

この間珍しく言及を頂いたんだけれども(http://noyes.blog18.fc2.com/blog-entry-3027.html)、直接は存じ上げないんだけれど、昔何度か読んだ事のあるブログさんだった。自分と全然スタイルが違うブログなんだなと漠然と思ったのを覚えているから。
彼女の書かれている事を見ていろいろ考えることはあって、自分の事で気付いたとこもあったんだけれど、なんだか文章にならない。体調の変わり目は大概そうなんだけど、考える端からイメージが変わっていって、次の瞬間にはもう忘れている。誰かと会話する中で考えを形にする事が、なぜなのか自分にもわからないけど今はできない。元々、誰もが当たり前にわかっている事が、自分の中では空白になっている事があって、普段はわからない事もわからないけど、奇妙な形で失敗し続けて気付く。なんか、今回もそうなんだろうなと思う。訳のわかんない事書いて申し訳ないんだけど。


ただ、エレニとして書いている事が自分の核になっているんだという事を、ノイズさんの文章を読んで考えてて、あらためて気付くとこがあって。
読まれる事って、そんなに単純な事じゃないと思うんだよね。自分がそれによってどう影響を受けるかとか、意識できているところはほんの一部に過ぎない。考えを言葉にしている以上、既に意識は外に向かっているわけだし、他人に見せないで自分だけで書いてりゃいいって言い草も、なんかねっていう。まあわたしもそういう事言うことあるんだけど。
なんで他人が読める形で自分が書いているのかとか、自覚できている部分ってほんとに少しだと思う。書き続けている内にすとんと、なぜかというのが意識に落ちてくるところもあるだろうし、たとえ意識できていなくても、読まれる事で自分は確実に影響を受けている。もちろん影響を及ぼしてもいるし。今回書き出してからでも、自分は確実に変化してるなと思う。


ここでは日常、ギリギリ意識に上らない次元の事を文章にしている事が多いけど、そういうの面白がるっていうのもあるんじゃないのかな。
なんか、他者の無自覚さが自分にとって限度を超える状況を生んでいたりとか。自覚できていない耐え難さが書かせているところは、誰しもあると思うんだけど。