他人の死
坂東眞砂子さんの訃報があって、東野圭吾氏の文章がまた話題になっていて、なんていうか、作家がこんな出来事でしか記憶されないのは無惨な事だな、と思った。
私も当時これについては幾つか書いていて、彼女からすればある程度「汲み取っていた」という事になるのかもしれないけれども(今以上にわたしの文章もとっ散らかっているが)、正直なところ彼女の幼稚さや文章の幅の無さが、この状況を生んだんだと思う。
彼女の小説もどれだけの人が読んでいるんだろうか。今の時代にもう小説も小説家も必要とされていないって事は、こんな時あらためて可視になるんだろうけれど。
結局のところどこの誰も、知らない人の事は悼まない。誰かの偽善を気付かせるには、彼女の力は足りなかったんだろう。