無頼の解法

ブログが窓みたいになってるなあ、というか、消息を確認するのに窓になってるのな。他のメディア使ってても、結構な人が昔のを残してたりするし。
検索すると、新しいサイトを立ち上げて書いてる人もいるし、ツイッターとか、ああやってるんだなあと。
意地悪なのかもしれないけど、以前イケイケでやってた人とか、この人はこっからいっぺん負けてそっからが勝負だよなと当時思って見ていて、今になって、ああちゃんと挫折したんだなと遠くから確認する。で、こっから頑張れたら頑張れよとか思う。
どうしようもない生活を晒すスタイルの書き手でも、やっぱりほんとの惨めさってこっちは見たくないんだよ。彼等も書かないだろうけど。隠し方の癖みたいなのが、皆それぞれ違うんだよね。
多少なり才があれば、惨めな生活送る割合はよけい増すし、時間の経過があってそういうのは実感として見えてしまう。ああどうしようもねえって思う。見ていて、苦い固まりを飲み下す感じ。
いつのまにか何十年か生きてて、終わりまでの時間感覚が掴めてきて、ああ、ジタバタする余裕もなく終わっちまうぜ、ていう。でもそれなりにまだ若くもあって、実際力の限りジタバタしてて。そういう馬鹿馬鹿しさの繰り返し。
昔はいわゆる無頼気取りとか大嫌いだったのに、いま自分が見ていて、なんかわかってしまうのはそういう連中なのな。
考えてみれば、どうしようもない奴を、昔から責められなかったんだよなあ。自分は箱入りのクソ真面目な優等生だったんだけど。今でもそういうのバレバレなんだけどさ。