変化に追いつかない

左翼的な言説を見て鼻白むのは、戦後の世代にとって権力というものは滑稽なものでしかなかったからだ。それは怖いものではなかった。日常に働く引力であり、圧迫してくる抗すべき力ではなかった。戯画化された、壁一枚向こうにあるものだった。
たとえば普段話もしない父親が、子会社に天下ると母から聞く。子供時代の権力との遭遇は、そういうものだった。


検察も政治家も、現に自分に仮託された力を理解も認識もしていない。わけもわからず振りまわして、それがどう間違っていたのか、何を破壊し取り返しがつかなくなったのか、取り囲んでいる誰一人すらわかっていない。


この前の戦争がこの国にとって一体何だったのか、戦前も戦中も戦後も、結局誰も理解しなかったのではないか。
我々が持っている力も仕組みも金も、放り出されたまま誰にも顧みられていなかったのではないか。ただ掘り返し建て、掘り返し建て、その日を生きてきただけだ。
日本人はそれが人生だと思っていた。だが違ったのではないか。


日の丸を振りまわすのは単なるカタルシスだ。デモを見てその(日本の)忘れかけていた異様さに愕然とした。彼らは自分の姿に気がついてない。彼らのどれだけが国家の心酔者か。おそらく彼らの大多数が自覚しているように、実際にはそんな大仰なものじゃない。だが誰かの言うように、この国のサイレントマジョリティーでもない。自分は自覚していると思いながら、彼らは知らない内に何か踏み外している。


私は国家などどうでもいい。生きることが全てだ。それを捉えるのがあまりにも難しいから、他のことなんて考える余裕がない。とりあえず生きる為に、そこにあるものを掴み、とりあえずの結論をひねり出す。ひねり出し、ひねり出し、なんとか格好をつけていく。そうやってやっと生活と心の平安を得る。
私とあなたは住むところが違い、食べるものが違い、全てのことを違う向きから眺めている。矛盾だらけの簡単な解を「間違っている」と指さす人を、私はここから多くの人とひややかに眺めている。


しかしその難しさに、己の立つところを見もせず、わかろうともせず耳を塞いで生きることもまた、おそらく単なる無知だろう。昔の自分の小賢しい考えは、取り返しがつかないほどにまちがっていたのではないか。


砂の山から出てきたら、いきなり強力なサーチライトに照らしだされた気分だ。
みんな知っていた。自分がいろと言われた外に本当は欲している現実が広がっていることは。でも茫然としてまだ、手を動かすことすら浮かばない。何か考えるなんて、まだ私の隣の誰も全然追いついていないのだ。