まあ適当に

ASEANが「内政不干渉」をなげだしたことが事の深刻さを象徴しているのだろうけど。人権理事会は実態があれだし。国連第一主義みたいなのは私は信じられないけどね。重要な問題ほど中ロがいるかぎりまともな決議は下しにくい。北朝鮮の例を引くとわかりやすいけどまともなこと言ってんのはアメリカだけということはよくある。ミャンマーに関しても今まで国連でミャンマーの肩を持つ中国あたりと大喧嘩し続けてきた。イギリスの方も、いまさら植民地がというのもなあ。


先進国の人間が殺されるというのはこういうことなんだなと見ていて思う。これをナショナリズムと取る感性もあるのだろうな。私はそれを否定するが。先進国の報道の人間がその場にいることが既に政治であって、無論本人達はそれを承知している。それを押し付けがましさととる当事国や途上国政府の感性というのもわからないではないが、ただそういった一つのはっきりした意志、力として関わるものがなければ何も動かない。今回のように国内が体制に対してある沸点をこえたのならば、方向性はやはりひとつ決まっている。
独裁体制が民族対立をとりあえず押さえ込むというのもそれが力であるからだろうな。まあこれは現実でしかないというか。溯るとオーストリアオスマン、今とは比べられないか。やめた。


日本の場合戦地報道はフリーの独壇場になっているようだけど、そうならざるをえない仕組みにジャーナリズムが成り立ちにくい根底があるのだろうな。企業としては仕方ないというのはよくわかるが。
ジャーナリズムというものに感じる胡散臭さというものはあるんだよな、やっぱり。ブロガーが、という以前に。考えていることは色々あるけど、いいや。