黒崎さんの実名出しの件等

黒崎さんは以前実名を出す事について反対されていた筈ですが、Wikipediaでの推移に関して立場を変えたということだと思います。しかし黒崎さんは本名を出されるのならば、少なくともその理由を明記されるべきでしょう(書かれればその上で批判するということ)。
今まで意図的に避けていましたが、本来松永さんの実名が出されるべきでないかというのは、筋的にはやや微妙なところがあります。松永英明という名前を使い続けることに疑問が出てもおかしくはなかった。



ただ現在、そしてむしろこの先現実生活において害が及ぶ可能性があること、脱会者保護の観点から本名を出す事は避けられます。また松永さん本人が本名を出される事を極度に嫌がっている事。それらのことを黒崎さんが理解していないはずが無い。松永英明としては脱会者である事はオープンにして活動している事など他の例とはややちがいますが、実名での生活はこれとはまた別の次元になります。



既出の資料であることで松永さんがプロバイダに削除依頼をしても削除は難しいと思いますが、ここでは黒崎さんの筋を問います。Wikipediaにおいてどなたかが「オウムの広報であった事で公的に名前を出す意味がある」とかいておられましたが、この点においては否でしょう。ヴァジラヤーナ・サッチャを書いていた事は広報的活動と言えますが、公式な意味での広報ではなかった事、また過去重要な局面において教団の中で中核をなしていなかった事、過去社会に対して危険と見なされる行為があったわけではなかった事(ここで偽装脱会が疑われた局面での説明不足が多少引っ掛かるわけですが)によりアーレフと関連付けて本名を出す理由はありません。



Espioの記事については、野田氏の錯誤と思われる部分があり、松永さんが片方の当事者である事から、記事を載せるのならば松永さんの主張を併記する必要があります。そうでなければ一方的に松永さんに対して意図的であると言わざるを得ません。また、サマナ時代の体験談のエントリは信者時代を過度に想起させるものです。国賠の件についても本人の説明を待つべきであり、掲載の資料の選択があまりにも片寄っています。


黒崎さんの邪推は元々明らかに行き過ぎの部分があり、黒崎さん自身に、読者からみれば邪推は邪推と判断されるという観点があるのが見えたので指摘するだけに留めていましたが、現在のような行き過ぎと本名併記が行われるならば、批判の立場を取ります。

現在のやり方で、松永さんをどこに連れて行きたいんですか?



今回はこれに留めます。


追記参考
豪雨の前兆 35 黒崎夜話

豪雨の前兆 36 松永氏、Wikipedia松永・野田項目の同時削除を求める