歌田明弘氏ネット匿名論の欺瞞


歌田明弘の『地球村の事件簿』: 日本のネットはなぜかくも匿名志向が強いのか


さて、事情を知っている人なら「相変らず」という感想しかでてこないのだが。


歌田氏の今までの「ことのは」関連のエントリ。
歌田明弘の『地球村の事件簿』:われわれはみな「隠れオウム」の容疑者
歌田明弘の『地球村の事件簿』: われわれがオウム事件で忘れていること


歌田明弘の『地球村の事件簿』: (今ふう)ジャーナリズムとは何か


これらのエントリは、途中からコメント・トラックバックの受付を締め切り、しかも一部を除いて殆ど削除してある(最初からコメントを受け付けていない例もあった)。更に今回は、最初から両方受け付けていない。ご覧になれば判るが、他のエントリはそのような処理はしていない。
今回歌田氏はこのような事を書かれているが、

実際のところ、実名ブログを書いて炎上すると実生活で困る人は、どれぐらいいるのだろうか。
 炎上の仕方や、実生活とネットがどれぐらい結びついているのかによっても違うと思うが、少しぐらい炎上したからといってただちに仕事にさしつかえる人は、それほど多くはないのではないか。


ならばなぜ、コメントもTBも受け付けていないのだろうか。甚だしい言行不一致だが、ご自分でそのことに気がつかれなかったか。
アメリカコンプレックス丸出しの内容はご愛嬌でしかなかったが、原稿は相変らず綺麗な言葉でまとめられていた。だが、その出て来た状況は欺瞞だらけだったし、それは「ことのは」に関する彼の行動を見ていた人は皆知っている。
今までは最初はTBを受け付けていたが、今回から歌田氏はそれもやめてしまった。それはおそらく私のエントリが原因だろう。あまりに予想通りだったので、私は笑ってしまった。



松永氏のことについては、既に知っておられる方が多いだろうし、今更書かない。その上で、これが今回関連するエントリである。


エレニの日記:社会の倫理、ジャーナリズムの倫理


実はこのエントリでは書いていないが、歌田氏から二回目のメールが来た数日後、ある個人情報がネット上に流れた。もちろんそれを踏まえて、私は佐々木氏に返答を迫っていたのである。未だに佐々木氏から返事がないが、氏は当時、何が起きたかは知っていただろう。


個人情報を流したのが真実誰だったかは分からないが、歌田氏もまた、この原稿を書いた時点で、既に知っていたはずである。ネットの実名匿名論を扱うならば、特定の人間の実名が暴かれた事をなぜ書かなかったのか。その出来事を無視して何を論じられるのか。

そもそも私は、オウムという存在が関わってくる件で、実名匿名論と混同するのは適当でないと指摘していた。ことのは関連で歌田氏の主張は、結果「オウム追求にはまず実名を公表しなければならない」ということになっていたし、こういった過敏な問題において身元を公表すれば、過度に注目が集まり、何が起こるかもわからなかった。


例の如く、既にTBを締め切られていたから、直接歌田氏に書いた事を知らせる事は出来なかったが、「ジャーナリストは取材する事が職業ではない」というエントリをあげられていたのを見て、こちらのエントリを読んでいることがわかった。(参考エントリ Ereniの日記:佐々木俊尚氏エントリについて 「ジャーナリズム」は、今回何を検証したかEreniの日記:「ジャーナリスト」達の無責任な「言論」



また私は、BigBang氏の匿名性を非難する歌田氏に、このような事も書いている。

また泉さんもume氏も実名など公表していないし、匿名性を云々するなら、報道機関を立ち上げようとしていた人間が、匿名を保とうとしていた事こそ、遡って非難すべきだろう。だが歌田氏はこれらの経緯を全て落としている。自身の言に反して、何もかもまず擁護ありきであり、そこには何の整合性も無い。氏のやっていることは、意図的誘導以外の何物でもない。


「ジャーナリスト」達の無責任な「言論」


ここで歌田氏が匿名論を適用するのは、前提からおかしいのだと指摘しているが、相変らず氏は匿名論を繰返し続けた。そして悪びれもせず今回のようなエントリを上げた。氏はいったい何を考えているのか、私には全く理解できない。わかるのは、氏が他人の指摘を全く気にする様子もないということだけである。



また歌田氏は最初のエントリでこう書かれているが、

泉氏はショックで寝こんでしまったりもしたようだ。しかし、立ち直って、松永氏へインタヴューした。


このインタビューが曲者だった。そこで松永氏の「A派M派というのは、上祐側がでっち上げたデマ」「アーチャリー達家族はもう殆ど教団と関わっていない」という発言は、真実ではなかったようだからである。現在私はインタビューを行った泉あい氏佐々木俊尚氏R30氏に何らかの対応を求めている(エレニの日記:いろいろあったようだが、)。本来歌田氏にも何らかの対処を求めてもいいのだろうが、ハナから無駄だとわかっているので、何も書かなかった。また、氏がTBを受付ていないという事情もあった。今回はあえて書いているが。



歌田氏の今回のエントリから抜粋。

ただひとつ言えるのは、このところこのコラムで書いているように、責任を取りにくい情報発信が気軽にでき、大きな影響力を発揮するようになればなるほど、ネットは危険な情報操作が可能なメディアになっていく。そのリスクはますます大きくなっていると思う。


歌田氏は二回目の原稿BB氏の意見を入れて滝本氏の意見を足したが、そうでなければそのまま松永氏の言い分を流す事になっていた。またその上でもまだ問題のある原稿だったのは、webに載せる上での修正を持ってご自身が示されている。それらの事実を踏まえ、上のような発言をされるのは、私には理解できない。この件が危険でないなら、いったい何が危険というのだろうか。



また歌田氏は泉さんの件に関して、BB氏の質問に対してこのように答えていた


BigBang: 週刊アスキーと歌田明弘氏への質問書(3)----歌田氏の回答でわかったこと
BigBang: 「仮想報道 われわれはみな”隠れオウム”の容疑者」(週刊アスキー)の問題点について


これは、責任を取らない情報発信をしていいのだという発言にしか、私にも取れない。実際泉さんの件に関して、いい加減な裏取りもしない一方的な情報を、歌田氏は週刊アスキーという媒体で堂々と流していたのだ。


 匿名で情報発信したい理由はよくわかる。

 まず第一に、実名で書いて得になることがありそうに思えない。
 目立てば叩かれるだけで、名前を伏せて発言したほうが無難で心地いい。日本で学校生活を送っていれば、たいていの人はこうした処世術を身につける。いきなり「個性尊重」と叫ばれても、これまでの経験にもとづく判断は容易には変わらない。


端々から見える人を見下す視線。今まで我々が書いた事を一切無視し、己のやった事を忘れ去って綺麗事を並べ続ける事。批判は一切受け付けず、コメントもTBも殆ど全て消してしまった。実名を公表した人間にしか批判を許さないと書いた歌田氏の論理は、倒錯したものでしかなかった。実名匿名論争ではよく小倉弁護士の名が出されるが、氏は弁護士であって、言論の人ではない。だが歌田氏は言論の人である。ジャーナリストについて、要するに「無責任でいいのだ」と氏は書かれていたが、そのような問題ではない。言論で飯を食っていて、不特定多数の批判を許さぬではお話にならない。今回、氏の言動に付き合っていて、怒りを通り越して呆れるしかなくなった。綺麗な完成品の原稿の裏に、ここまで欺瞞を隠すのかと呆れ返っている。


氏がブロゴスフィアがどういうものかわかっているとも、とても思えない。所作ひとつひとつが、全てそこへの無理解と無神経さを指していた。

また、「いくら反対が多くても自分は正しいことを言っている(つもりな)のだからそれでいい」ともしその人が思っていれば、おそらく炎上してもそれほど「困った」とは思わないだろう。ネットで書き続ける気はしなくなるかもしれないが、実生活で困る、というほどのものではないはずだ。

 「周りが何を言おうが正しいことを言っているんだからそれでいい」と思う度合いは、良きにつけ悪しきにつけ、アメリカ人のほうが強い。アメリカのブログに実名が多いのは、そうした心の持ちようも関係しているのではないか。


あなたの言う「正しい事」とはいったい何か。アメリカ人の気性など持ち出して、あなたは何が言いたいのか。
少し前、状況からあることが類推されていたが、あなたはそれを否定しようともしない。ただ押し黙ったままである。



はっきり言う。

歌田明弘氏、あなたの欺瞞だらけの原稿など、現実には何の価値もない。