ガラス


わたしが何か作業をし出すと、いくらか人が集まってくる。


それは目が自由にならないまま、ガラス細工を作っているようなもので、けれど誰かは砂遊びをしようと言う。
わたしは困ってしまって、手を離して、目が見えないから砂遊びはできないと言う。
すると誰かは「そんなわけないよ。つまんない」と言って、向こうへ行ってしまう。


わたしは自分がいずれ公園に来れなくなる事を知っているから、何度か声をかけるけれど、彼等はただ笑って聞いていない。



そしてわたしはまたガラス細工を作り始めて、そうするとまた誰かはこちらを向いて、砂遊びをしようと言う。
わたしはガラス細工が壊れてしまうから返事ができない。


そしてもう一度砂遊びはできないのだと言うと、誰かはまた向こうに行ってしまう。


わたしは仕方なく再び手を離して、砂遊びをできない理由を幾つも話すけれど、彼等は「ガラス細工も作らないんなら来なくていいよ」と言う。


わたしの目があまり見えない事を知っていても、彼等は「でもガラス細工を作っているじゃないか」と笑う。



わたしは寒いから公園を出て、どこかで座って話そうと言う。
けどそれはダメだと言う。


わたしは砂遊びをできない理由を、他人には知らせたくないから公園を出ようと言う。
それはやっぱりダメだと、彼等は向こうを向いてしまう。



次にガラス細工を作り始める事ができたら、わたしは手を止めないだろう。もう一度やめてしまったら、おそらく二度とガラス細工を作れないから。


それはとても極端なバランスで、半分眠りに落ちながら手に取っていくもので。



彼等にはガラス細工は洒落た遊びで、軽やかに作るものだと見えていて。
疲れ切って吐露する言葉も、いつでもわたしの幼さのせいだと解釈し直してしまう。
砂遊びの仕草ひとつ、できないわけないじゃないかと彼等は思っている。



ただもう、わたしは公園で話していられないから。
我が儘にしか見えていないのは知っているけれど、ただわたしは、座って誰かとゆっくり話したいだけで。