過去


思えばわたしがブログを始める前からのネット上の知人で、わたしがいろいろとやらかしてきたのも(笑)知ってる人が、それでもずっと読んでくれてるとは思ってなかったんだよね。


以前交流のあった人がまた気まぐれで読んでくれる事はあるだろうと思っていたけど、自分の文章が、関係のない人を留め置ける物だとは思っていなかったから。
まあ実際、ここのアクセスはいますごく少ないんだけどさ。



なんだかんだ言って、あれからもう十年近くたってるんじゃないかなあ?結構愕然とするけど。


その人のブログは昔真っ黒でですね、怖かったんだよw
先日ブログで書かれてた彼女らと当時、不思議な人だよねえと遠巻きにしてて、迂闊にコメントしてあの世界を邪魔してはならんというか、すとんと闇につながるような怖さがあって踏み込めなかった。


まあ今になって、結構お気楽な面も(失礼)ある人なのだなあと知ることになったけど。




ちょうど一年くらいになるのかな?
ここをまた書き始めてから。


人が声をかけてくれていなかったら、文章と自分の距離が取れないままおそらく終わってた。
最初いくつか書いた文章は、あまりにも自分の感覚だけが露出してて、他人が読めるものになってるのか自分で判断できなかったから。


でもたぶん、あのまま突っ切れば、逆に広く読んでもらえるようにもなるのかな。自分を喰い尽くしそうではあるけどね。




文章論とかさ、他人がよく書いてるじゃないですか。
でもなんであんな馬鹿げたこと書くんだろうとしか思わなくて。


人の意識っていろんな層があって。
それをずっと言葉にしていって。そうして確認していく作業を他人が見てるってのも妙なもんなんだけれども。



ネットって意識のジャングルというか、10年前はより混乱してた。だから今こっそりこんな無茶な書き方を紛れ込ませる事もできたわけで。


それを、いろんな知識を入れてアウトプットとか野暮の骨頂じゃん、その場その場で切り裂いていくのが気持ちいいのを投げ捨てる事もない。真性引き篭もりとか、ああいうのは明らかに教養人じゃないだろうっていうね(笑)



人の意識を知る事と、自分の意識を知ることは同じ事なんだっていう。
自分が恐れている事は、他人も恐れている。
そういう方に意識の向く人が、いま私の文章を読んでくれているのかなと思うんだけれども。