音二郎から映画へ

少し前に人に頼まれて図書館行って、ついでに「明治演劇史」の伊井蓉峰のとこをパラパラ見ていた。なぜ伊井蓉峰かというと、 こういう理由なのだった。
マキノ省三が五十年(五十歳)記念に鳴り物入りで撮った、というか撮ろうとした「実録忠臣蔵」を、この新派の大御所が六方踏んでぶち壊しにした、というエピソードがあるのだ。
明治演劇史



映画の撮影後、省三の編集中にこのフィルムは電球から引火して焼けてしまうのだが、このとき、前年大規模に開設された牧野中部撮影所も延焼し、程なく閉鎖に追い込まれた。さらには、それまで行動を共にしていた直木三十五にマキノの評判をひっかきまわされ、片岡千恵蔵、アラカンなどのスターがプロから次々に脱退、火事の後体調を崩していた省三が亡くなり、遂にはマキノ・プロダクション解散という、嘘のような悲劇に見舞われた。


スターの集団退社後、弱冠二十歳の息子正博は無名役者ばかりで『浪人街 第一話 美しき獲物』を撮影しているが(総指揮のクレジットは省三)、この作品はその年のキネマ旬報ベストテン第1位に輝いている。実にその年、正博の作品はトップテンの内三作を占めた。また体調を崩しながらも省三は前年アメリカで公開されたトーキー映画の研究に着手し、初の国産ディスク式トーキー『戻橋』を正博の手によって完成させている。この『戻橋』公開後程なく省三は亡くなっており、死の直前まですさまじい勢いで映画を前進させ続けた事になる。




ま、というわけで、伊井蓉峰にはあまりいい印象を持っていないのだが、本によると、伊井は川上音二郎一座にいたものの、その美貌などを音二郎に妬まれて一座から独立する事になったらしい(伊井蓉峰=「いい容貌」)。後年尊大だったらしいこの俳優が、若いころはネチネチやられていたのかと思うとなんだか笑ってしまうけれども。


そしてさらにめくっていくと、山田九州男川上音二郎のところにいたという記述を見つけた。山田九州男というのは、山田五十鈴の父親である。
新派の役者だったという事は知っていたが、さらっと見たくらいではほとんど情報が出てこないので、どんな役者だったのか全く知らなかった。



ネットでちょっと見てみると、九州男は明治36年明治座で音二郎一座の翻案劇「オセロ」に出演していたらしい。(当時のチラシを載せているブログ『正劇 「オセロ」 浪花座 (1903.3) - 蔵書目録』)
明治36年というと、例の欧米巡業の翌年に当たるが、このブログには森鴎外坪内逍遥尾崎紅葉与謝野鉄幹らも観劇したとあり(資料にあたっているわけではなく申し訳ないが)、九州男本人含め、大変な評判を取った舞台だったようだ。


この舞台については研究論文も書かれており、ネットでその要旨を見ることができる。(JAIRO | 江見水陰翻案・川上音二郎一座上演『オセロ』(1903年)の研究
ざっと見て左翼系の研究者の書かれた物のようだが、この要旨からでもかなり内容がわかるので少し。当時の音二郎一座の舞台がどんなものだったのか、雰囲気を窺う事ができる。




原作では、当時イギリスの植民地だったキプロス(今話題の)とされている舞台だが、音二郎版では、当時の日本の植民地、台湾・澎湖諸島となっている。また原作ではムーア人(アフリカ北西部に住むイスラム教徒)とされるオセローだが、被差別部落出身と噂される人物「室鷲郎」が当てられている。更には九州男が演じた娼婦ビアンカ「琵琶香」に、熊本訛りを喋らせているが、これは当時のからゆきさん(長崎県島原半島熊本県天草諸島出身の女性が多かった)の連想であるという。


今からするとかなり驚きの設定が続くが、特に琵琶香など、当時はいきいきとリアリティを持った造形であったことが想像される(要旨で指摘されているが、研究者本人の受け止め方と、音二郎らの感覚には少し乖離があるようにも思える。政治的な意識を強く持って作られた舞台には違いないが)。
この頃被差別部落の問題が、政治的にどのように認識されていたのかは、不勉強でよくわからない。この舞台の背景となっていそうな部分は要旨で触れられているが、我々から見えないのはそれだけではないだろう。ちなみに全国水平社設立は大正11年である。



ほか『当時,西欧メディアが日本人をトルコ人同様の残酷な国民として報道していることを嘆くやりとり』があったともあり、おそらくこの調子で舞台に渡欧の際の風聞を織り交ぜていったのだろう。当時の日本人からしても、今の我々にとっても、何かいろいろな事を思わせられる場面ではある。


元々音二郎などの「壮士芝居」は自由民権運動の流れだから、政治色が強くて何の不思議もないのだが、この舞台設定がインテリにも大衆にも自然に受け入れられたというのは、今から見ると結構不思議な感じがする。
それでも、限られた情報からだけでも活気が伝わってくるのも事実で、その政治的演出と、音二郎らしい俗っぽさのバランスが窺い知れ興味深い。この闊達さは、この時代と音二郎独特の物だったのだろう。無声映画にも傾向映画など政治色の強い作品群はあるが、それらの政治性、活気とは時代の違う、全く異質のものが感じられる。



さて、この件を調べている途中で当時の新派劇の音源が残っている事を知った。音源をまとめておいてくださっているページ(恵理人の部屋 新派劇音源コレクション1 )を見つけて、松井須磨子だの、喜多村緑郎だの、なぜか久保田万太郎による小唄の紹介なんてのも置いてあるのだが、新派などろくに知らないにも関わらず、さっきまであれやこれや聞いていた。
わたしの琴線に触れるところでは、大河内伝次郎による映画『沓掛時次郎』の紹介音源もあり、水谷八重子花柳章太郎両御大はもちろん、成美団、栗島澄子に沢田正二郎川上音二郎一座マダム貞奴の蝋管音源までフォローされている。


そしてせっかくなので山田九州男と伊井蓉峰の録音だけ貼っておく。誰もうれしくないかもしれないが、わたしにはここにまとめておけるメリットがある。伊井蓉峰の方は録音状態悪いですが。



1.縁の糸 山田九州男
22:28あたりから


40.新演劇 はげ頭 ドンアントニオ、伊井蓉峰

けれどもだな、人間の正直というものが、髪の毛でできてない限りは。頭が禿げているからと言って別段恥じる事はないのだからの。人間はただ正直でありさえすればいいのだからの。

この『はげあたま』ってのは、森鴎外の翻訳したドイツ Kopish の小説で、鴎外の演劇活動の転機ともなった作品(近代デジタルライブラリーで公開されている電子書籍)のようです。「私は伊井蓉峰です、今ここにやりますのはドイツの『はげあたま』というものです」という説明から始まるのが笑えるが、先程の久保田万太郎大河内伝次郎の録音もほぼ同じスタイルなので(さすがに伊井のような棒読み名乗りをしているわけではないが)、一つの定型なのかもしれない。こういうのも調べ始めたら面白そうですが、何か違う場所に行くことになりそうなのでやりませんが。




最後、お約束のオッペケペー