愛玩とバランス

前に書いていたブログでは、好きな映画をそのまま名前に使っていた。
映画が好きかと言われれば別段好きではないし、他の趣味についても、特に思い入れというものはない。
いわゆる映画好きを見ていて、何でもよく覚えているなあと思うけれども、自分と話が通じるようには思われない。そもそも、見た端からどんな筋だったかなど忘れてしまう。
古い映画の上映で、たまに元映画屋さん達の盛り上がっている姿を見るけれども、夢の残滓は見るに堪えないと思うだけだ。


溝口の「西鶴一代女」に、一世を風靡した太夫の落ちぶれた姿が描かれている。いわゆる門付けというのだろうが、その吹き替えで付けられた歌が誰の何といううただったのか、未だに耳に残っている。


肌で何を感じるかだけが重要であり、どこまでも抜けていく空だとか、クソッタレな人物描写であるとか、わたしが映画に求めるのはただそんなものだ。