アップデート

こういった時、わたしは人権尊重の立場を表明しながらも(常にその尊重は試みられ続けるべきものだ)、もう一方の側の意識で物を見ようとする。それが第三者による、わたしに対しての懐疑を生むのだろうし、またこの立ち位置が、結果的にわたし自身の偏見を露わにする。
ある意味、自分を分析するのに便利な状況にはなる。自意識は馬鹿げたものだが、使いようはあるのだ。


自分が存在しようとする限り、差別意識など自らと切り離す事はできない。自覚した場所から自分を作り替えながらも、不完全な自分から、いい加減な事を言い続ける他ないのだ。その事を自覚しながらも、またわたしは自分への非難も感情的に無視する事はできないだろう。
こういった自省は生きていく術としては役に立たず、全て自己満足に過ぎないが、それでもその自己満足の連続が、自我を歪めず保ち続ける為の、唯一の自覚される手段なのだと思う。