芸能の話

昨日テレビを見ていて、タイの猿回しというのが出て来た。
ちょっと見ると、猿回しはミャンマーや中国にも残っているらしく、広い範囲に伝わった芸能なのだろう。
一座は家族経営程度の規模だったが、その自宅前で撮影が行われているようで、やや貧乏臭い近所の雰囲気が日本とよく似ていて笑ってしまった。
さらりと映った物を見た限りでは、猿回しそのものも感覚的に日本のものと大差ない。エアギターをかき鳴らす仕草はいかにも現代的で、日本の猿回しとよく似てもいる。もっとも猿の姿はかなり違っていて、際立って脚が長く、人間のファッションモデルのようでもあり、日本人にはやや奇妙な印象をもたらすように思った。


話は変わるが、以前アフガニスタンの「ダンシングボーイ」についてのドキュメンタリー*1を見た。記憶がかなりおぼろになっているので、いい加減な事を書いてしまうかもしれないが。
番組では閉鎖的な文化と、虐待、人身売買、人権侵害の文脈で語られていたが(少年達には「主人」の暴力による死者も出ており、実態としてそうなのだが)、日本人ならばダンシングボーイを見て稚児文化や歌舞伎の周辺を連想するだろう。
ダンシングボーイを巡る状況は、例えば世阿弥の置かれていた立場とよく似ている。昔はアラブ・イスラム圏で広く人気を得ていたものらしく、少年による売春行為もおおっぴらに行われていたようだ。男色に対する寛容さという点でも、売色の感覚にも、日本と共通するものがあるように見える。


番組を見ていて感じたのは、人権意識の強い制作側と、厄介な問題として当たらず障らずとするアフガニスタン人側との意識の乖離だった(さすがにダンシングボーイの存在が許容されるのは、アフガニスタンの中でもごく一部らしい)。
殺人や虐待の実態の打開が最優先であり、それは異質な文化の人間にしかできないのだが(なおさら、制作者がこの件に関わった事で命を危険にさらしている)、制作側のいわば空回りと、相手との文化的断絶がこちらにはどうしても見えてしまう。
どう書いても誤解を招くのであえてこれ以上は書かないが、文化間の差異を自らの中で問い直さないまま非難を重ねれば、乖離は重層的なものになり得てしまう。(『ダンシングボーイ アフガニスタン』で検索をかければ、ダンシングボーイに関する簡単な解説を含む、ドキュメンタリーと対立的な見方の記事も出て来るが、支持し難い意見を含んでいることもあり、ここにはリンクを貼らない)。