死という厄介

どうしても、病気というものに取りつかれてしまう人がいる。
自分の病名を探して全国を駆け回り、何もかも隅から隅まで探して、いくつもの病院と、病名を梯子していく。
それが強迫観念となり、今度はその意識に追い回されていく。


「全てがわかるわけではないのだから、わからないまま付き合っていく術を覚えなければ」と言った時、その人はきょとんとしていて、周囲の人はうなずいていた。
ある年代になると、大概の人は「病院なんて信用できないわ」と言う。それであっても付き合わなければならない厄介なものだ。


入院に葬儀費用に身内の厄介。人の生死は悲しみよりも義理と世間だと否が応でもわかってくる。
だが、誰もそんなことは露ほども口には出さないのだ。