隠されるもの

台風は過ぎ去って、けれど雲は残っている。


ブログなど書いていても仕方がない。ここは子供の世界であって、誰も本当の人生や、絶望でしかない世界の姿を見たがりはしないからだ。それに翻弄されるふりをしたところで、根にある静寂は姿を変えない。



苦しみぬいた全ては鈍い無というものであり、そこに術などありはしない。今風の愚かさに囚われているかのように、抜け出そうとあがくふりをして、誰かを裏切りたくないという気持ちにとらわれる。生まれ持っていた賢さは、望みなどどこにもない事を知っていたということでしかなく、つまり私はずっとどうしようもなく一人だった。



日々過ぎていく現実は無為と絶望とは相容れずに、私はそこでどうしたらいいかわからなくなる。体の苦しみを私は知覚する事ができない。傷も痛みも、心のそれは私には関係のないことだ。あなたの痛みを感じる事で、私は少し人並みになるのかと思うし、でもそれも見せ掛けでしかないと、私は誰に言えるのだろう。



若さは一度として私の味方にはならなかった。
それを持て余して、私はどうすることもできなかった。この人生がどれだけ馬鹿げたものであったのか、決して人の目に晒す事はない。それが人が生きていくということであるだろうし、私の人生ですら、そんな事は変わらないのだ。