今は余計なことだが

人権法の記事は結局完結させられなくて、それにもやはり書かなかった理由というのがあるのだけれど、もう一つ書かなければならなかったことはあったのだと思い出した。



他国で展開された日本人の物語というのがあって、それは日本人の体感として残っていかなければならないものだろうと思う。この物語という感覚は、大事だとわかる人にはわかるが、世代が下ると個々は理解しても流れとしてはちょっと辛いものがある。



具体的な国の名前は出さないけれど、近代にあった大量虐殺に関して、被虐殺側の民族の監督の撮った映画を見たことがある。
私はその件についてほとんど無知だったし、当時の証拠というものがほとんど残っておらず、記憶を証言に頼らなければいけない以上、彼ら自身の体感と言葉を聞きたいと思ったからだ。


結果その映画を観て何を感じたのかと言えば、物語は既に絶えてしまったのだろうということだった。
まだ若いその監督が描き切れなかっただけなのかもしれないが、私にはその体感は伝わってこなかった。



物語の断絶というものはその民族の死というものに等しいし、けれど実際にはどの国でもどの民族に於いても物語のすり替えというのは行われていて、その幻影を足の下に置いて我々は生きている。
民族という括り、言葉に私自身抜きがたいアレルギーがあるが、今は他に適当な表現が見つからない。


イデオロギーもしくは若さはその幻影からの解放を目指すものであって、それはそうあるべきだし非常によくわかるのだけれど、一方で表面的なナショナリズムイデオロギーはまさにそのすり替えた物語に依存する。


ある人物の表現を借りればそれは歴史の感覚ということなのだろうし、けれどそれは現在進行形のものでもあって、物語の感覚というのは大衆の記憶として理知として、水脈のように受け継がれていく。



思い切って言えば、某団体は彼ら自身の物語をさまざまな意味で阻害しているし、また同じ血が流れていながら過去から現在にかけて展開される悲劇について大きな声を上げようとしない人々を、私は根本のところで信用しない。


しかし私には彼らの物語は語れず、それゆえに最後のエントリーを書けなかった。



このエントリーは、今はこのブログで書くに適当な時期ではないし、冒頭に述べたことについてきちんと書かなければ結局意味はない。国と国との関わりまで話をのばしていけば、そこまで文章にするのかという思いもある。


この文章は、もっと後になってもう少し違う形で読まれればいいのだろうと思う。