朝日のあたる家

アニマルズの曲調と題名のイメージに落差を感じてずっと違和感があった。
元は炭鉱辺りで歌われてたフォークソングで、詞の内容を知った時はへえと思ったが。


身を誤ったところで、何も変わらないといえば変わらないのかもしれない。
血縁の感覚であるとか、何もかも失ってしまうこととか、今と昔では変わりすぎてしまって、そこで陰影が失われはしたのだと思う。聞かされてきたいくつかの悲劇を思い出すたび、その存在は今にとってありうるものではないのだと感じる。そこには糊塗しえない距離がある。


生きることは変わらず苦しみであるはずなのに、どこかひどく見やすいところがイミテーションに変わっている。それは今更な、陳腐なまちがった感覚だと言われるのだろうが。


うまく苦しむことができずに、陸に上がった魚のように口をぱくぱくさせ息ができない。その人の悲しみを掬いとる事はもうできなくなっていて、ではそれは置き去りにされるのかと、時々言い知れぬ感覚に襲われる。