映画の話、徒然

溝口の映画は何本か見ているが、その作品は、他の人間には出せない近代以前の物語性と叙情性を持っている。いちばん有名といえば「瀧の白糸」だろうが、私にはあれは駄作に見える。当時モガと持て囃された入江たか子の大味さは役に全く合っておらず、見ていて辛いものがある。

そして例えば栗島すみ子がやっていたら、本当の傑作になっていたのではないかと、考えたりする。



溝口監督の「瀧の白糸」は1933年製作であり(その後京マチ子主演などで何回か他の監督が撮っている)、栗島は同年、成瀬巳喜男出世作「夜ごとの夢(写真)」に出演している。残念ながら全編は見ていないが、荒削りながら既に成瀬お得意の駄目な男とその女という原型が既にできており(基本的には成瀬の初期作品は結構ひどいできなのだが)、栗島すみ子がなんとも言えず美しかった。



栗島すみ子は女優として、大正・昭和の一時期、まさに一世を風靡したが、若い頃のフィルムはおそらくあまり残っていない。私も見たのはこの一作品だけである。
「夜ごとの夢」後数年で栗島は女優を引退しているが、後年成瀬巳喜男「流れる」に出演している。栗島はここで見事な芸達者振りを披露し、現在から見ればこれが彼女の代表作になるだろう。ただよく見れば美しさの面影は残しているものの、なんともえげつない性格の役柄であり、あの可憐で美しい女優の人の記憶に残るのがあの姿とは、やや割り切れないものが残ってしまう。




私の好きな女優を思い浮かべるに、おおよそ仇っぽい、所作の際立ったタイプである。それなりに思いいれもあるが、女優で作品を見るということはまずしないから、さほど本数を見ているということもない。それこそよく見ているといえば山田五十鈴くらいか。この場合も映画を見ていったら、ことごとくにこの人が出ていたというだけの話である。



「折鶴お千」の話を幾度か出しているが、あの映画の山田五十鈴に比べれば、他の女優など木偶の如くだ。時にその演技は役柄の枠など飛び越え、見ていてざわりと鳥肌が立つ。彼女は恋多き女としても有名であり、相手が才のある男である場合が多かった為に、男を芸の肥やしにしていったという言い方をされるが、スクリーンを通してそんな気配をなんとなしに感じる事がある。




元々私がよく見るのは女優が主役を張る前の時代の映画で、成瀬は好きだが、森雅之などにもあまり魅力は感じない。上原謙でも森でも主役というより女優の相手役が多く、(作品としては別だが)役柄としてはつまらない。森雅之は好きな俳優ではあるし、本領は舞台だったのだろうが。





話が飛ぶが、津川雅彦が最近ようやっとマキノ雅彦名義で映画を撮っていたが、あまり見る気もしない。マキノというより伊丹十三に近い匂いがする。「娯楽映画を撮りました」という看板が鼻につく。




つまんねぇなあと思う。