例えば

「そんなもの聞きたくない」というのは正しくて、でも聞かれない声の向こうに神は存在している。
話し掛けても答えない。そこにただ後ろ姿で立っている。
私は眼差しの後ろで、その姿を見ている。本来見られないものであるそれ。



この現実に生まれたのはほんの偶然で、だからここに引っかかった人生を送るだけ。
転生など来世などないというけれど、この生が終わっても何が終わるという気がしない。例えばこの手で自分の命を断っても、何かが終わるように思わない。


生というものは、足枷のようなものじゃないのか。存在することが強要され、全てを見据え、苦しみぬく事が要求される。そのために生きている。
自分の姿など、自分の目に耐えるものではない。だが見ろと。見て死んでそれで終わり。