体の話


極東ブログ: 「女性の脳(The Female Brain)」(ルーアン・ブリゼンディン)は翻訳されるだろうか


参考記事 エレニの日記:女は不幸であるか



単純な話、体の作りが違えば脳の作りや働きも違うでしょ。脳科学なんてのもまだまだ未分野だろうし。私から見ると西洋医学というものも笑止の部分が多いのだけれどね。捉え方自体が全然ハズシているでしょというような。


医学なんて見方の流行り廃りであって、馬鹿みたいなものだなと思うところがある。こういう感覚は、あまり一般には通じないが。つーか、匂わすと医者は激昂する。楽だよね。
彼らが何十年か前、漢方をどう扱っていたか、そのあたりも遡ると面白い。「めくらが象を触って、どうこう言ってるようなものだ」と言った奴が普通にいたし。その間に東洋医学が変化したわけではもちろんない。この先東洋医学の「研究」もされていくだろうけど。まあいいや。



その怠惰な在り方は、日常一人一人の市井の人間の破滅と共にある。
医学には思想は存在しない。


現実はその視界の外にあり、医学とは科学であり、ものの見方の集合体でしかない限界を自覚言及しつつ、己の万能を無意識に信じる。社会での医学の特殊なあり方と万能幻想、結果そのあり方の限界がどんな阻害を生み出すか。


苦しむ人間は、君らの視界の外にある。



タブーになっている部分に真実のパーツは落ちていて、差別主義者と指差され、世の中からはじき出されて破滅しなければ、見捨てられた真実はつかめるかもしれない。ヒントは内に落ちている。



見捨てられた人間以外の誰に、真実が見えるのか。