擁護について

これについては一応書いておいたほうがいいと思うので。
最初の頃、BB氏の個人情報に探りを入れたり、氏個人の思い入れに矮小化しようとしたりなどあったが、個人攻撃に的を絞ってくる気配も感じて、最初のエントリで公論の枠に上げた(無論、歌田氏対応等の理由もあるが)。そしてターゲットになる対象を、自分という存在で割ろうという思惑があった。まあ実際、その思惑に相手方は乗ってくれたわけだが。


最初から「ある意味で」擁護の立場ではあったわけだ。が、この行動論理に問題があったとは思わない。また、私自身にはことのはの件に介入する理由がなかったから、事の推移は当事者的立場であるBB氏の判断に任せようと思っていた。その意味で、私はスレの人たちと同じように傍観者であったし、しかし物事が推移していくうちにその立場も変化していった。そして、その私の存在自体が物事を見難くしてしまった要素がある。私がこの問題に介入した行動理由は、直接松永さんの問題の本質には関係がない。



現在この件の付随する状況に関して、私とBB氏の見方にはかなり開きがある。黒崎氏らとの立場の違いもはっきりしていた。書く必要があるかというのは考えたが、その辺りの構図ははっきりさせておいた方がいいだろうとは思う。
馴れ合って、行動状況にまで影響を及ぼしているかのような言われ方は、はっきり不愉快である。そこはきちんと分けて認識してもらいたいとは思う。現実この問題で、私自身の存在などはどうでもいいものだが。



katshiさんがいっていることは、ある部分充分わかっていた。だがpsycho78の言葉を無化して全てを進める事は、私は適当でないと思っていた。それでは構図が見えなくなる。あそこでのわたしの言動が党派的、擁護的に見られたのはわかっているが、また私があそこで発言すべきではないだろうとも考えていた。katshiさんの見方は、問題の大事な部分を外していた。あのあたりのぐしゃぐしゃした状況は、当然外からは判り辛いのだろうなとは思う。他にも彼の発言については言う事もあったが、ここでそれを繰返す必要はないだろう。


また、その場その場で外の目に対しての対応を求められた事も、本質ではない。妙な形だなとは思っていた。ここは書くと長くなるので書かないが、公というものの取り扱い、私との関わり方がこの問題のキーではずっとあったとは思う。どれも全く違う様相ではあり、一見矛盾するようにも見え、難儀だが。



結局、psycho78はなんだったかという問題があるし、ジャーナリストさんたちもそうだが、あの存在があったせいで事がややこしくなった。誰が、なぜ。結局愉快犯ではあるのだろうが。



まあことのはの件にてついて、まだ書かなくてはいけないこともあるだろうが。