流れの中で

BB氏は、売文氏と通りすがりを100%切るべきである。売文氏も普通「今後ブクマで対応します」などといわれれば怒ってやり取りを中止すると思うが、彼の行動基準は分からない。


松永さんの話と、彼らと、何の関係があるかというこだ。BB氏さえ無視するなら、この場から彼らは無関係なものになる。私がスポンタ氏やトリル氏にあれだけきつい対応をしたのも、理由のない事ではない。このブログの最初の最初から、後先も考えずにあれだけ容赦のないエントリを書いたのも、それをやるだけの理由があったからである。
現在BB氏は、どこか破調気味であるし、それを自分で気付いていないだろう。



ただkatshiさんのような人を見ていると、psycho78の書く事にあなたは何も問題を感じないのか、と思う。申し訳ないが、katshiさんには人として何か欠けているのではないか。その許す許さないの言葉は、ただの言葉遊びでしかない。



BB氏の「お詫び」のエントリは要らぬものだった。ただ今回、オウムというものが関わってきた時点で、松永さんという存在がこの問題の核であるということにおいて、この問題で何物も正常な軸にあるわけはない。それが意味していることを、感じている人は実はあまりいないと思う。こんな文章がでてくる経緯の中で、細かい所をついても意味がある筈がないのだ。これは誰かの弁護の為に言っているのではない。BB氏は今回の件の中にある「何か」を感じてしまう人だし、それがこの問題に関わった事の一面の意味であると思う。


松永さんに求めている事とは別に、彼自身に差し伸べられ拒否され続けている手は、理性そのものとは何の関係もない。その手が、破調の中にあるゆえ差し伸べられ得るというのは、最初からわかっている事だ。たとえそれが分からない人がいるのだとしても。



松永さんの姿は、他人にこそよく見える。彼の「見られていない」傷は、ある種の感性を持った人間には、見えすぎるほど見えている。そして大抵その先に何が待っているかということも。本人によって「受け入れられない傷」が世の中にどれだけの厄介を引き起こしてしまうかということも。


BB氏に松永氏に引っ張られるなといっても無駄なことではあると思う。矛盾するようではあるが。