子供であった事

自分の体はこうなるしかなかったのだろうなと思う。おそらく。
後遺症を抱える前から、私の体は弱かった。人からはひどくわかりにくい形で。現在のそれが後遺症であるのか否か、それももう自分ではわからなくなっている。


子供の頃私は確信があったし、それは子供の持つ全能感なのだろうと思ったが、私はそこから世界の意識に潜っていく。確かに私の居た事のある、向こう側へと。



自分の持っているそれはそのままで世界に受け入れられないと、子供であった私は知っていたし、まさにそれだけでしか世界に受け入れられないのだとも判っていた。そして、そんなことによって私の体はダメになったと思う。



呼吸と意識と声。
私が感じ求めつづけるのはそれだけだろうし、私が失っている全てもそれである。


私は何も見ていなかった。それに気付いたのは大人になってからである。まだ認めきれないが、世界と他者を見ることが出来なかった。他者の意識は、私にとって恐ろしいものである。私はそれを決して直視できないし、そしてそれが身体に負担をかける。


私が私であることによって、自分は体を損ねただろう。「そう思え」と言い張る社会の要請もあるが、私がその声を身体に入れたのは、体が限界を超えた時だった。