書く事、読む事

ここでも少し触れたと思うけれども、私は後遺症を抱えている。それは大したことでないと言えばないし、致命的であると言えば言えるものだ。
紙の活字を読む能力は非常に限られているし、あらゆる理解に私は根本的問題を持っている。おそらく文章にはいつもどこか破調があるだろうし、読み進むにどこかつっかかる場所があるのではないかと思う。


言葉にリズムがあるように、人の身体や意識もリズムを持っている。言葉はその人のリズムそのものだろうし、私はその根本を失っている。きちんと呼吸をすることを忘れて、どの程度経つかと時に考えるが、意識が鮮明でなくなってから、既に時は経ち過ぎている。


今回、社会など失って構わないと言った人達を見ながら、本来彼らと私の立場とは逆だろうと思っていた。どれだけ「侵食するもの」を叩こうが、結局私は「ここ」に届かない。彼らが人を悪意とし自分を免罪することを、私はずっと虚しい思いで見つめていた。彼らの見えている世界に、ずっといらいらし続けていた。その「理想」は昔私の前に立ちはだかった壁でもあっただろうし、その恐るべき鈍感さは、理解されるべくもない少数者を追いつめるだけである。


ネタ的な言葉でもあり、現実でもありというところだが、私の体は、その性格を裏切っているだろう。その奇妙な関係を、私は少し離れた所から見つめている。
自分の弱さとごまかしを見て、くっだらねえなあと思いながら、何をやっているのかよくわからなくなることがある。