BigBangブログの、歌田氏の記事に関するコメント(の予定だったもの)


歌田氏も早々にコメント欄を閉じてしまわれたようですが。氏の言い様では、結局己への批判どころか、事実の齟齬の指摘すら一切受け付けないということになります(実際、全くまともな回答はありませんでした)。プロとして仕事をしておきながら、「実名でなければ受け付けない」という言葉も笑止ですが、おっしゃる通りBigBang氏は実名を以って歌田氏に質問を送付している。歌田氏の論理は完全に破綻しています。それ以前に、論理性・整合性をを全く無視した大変幼稚な文章でしたが。私ならば公開されるとわかっていて、あのような文書は送りません。あれを公共に晒されれば、ジャーナリストとしてというよりも、社会的信用が地に落ちてしまいます。


松永氏の報道機関への関与も、一連の追及の過程で出てきたものです。歌田氏、佐々木氏などは、それらの事実・重要性を一切無視して論を為していますが。泉さんが当初松永氏についてまともな言及を一切行わなかったのは、おそらくその関与も頭にあったでしょうね。表沙汰になれば、自分も終わりになると想像したでしょう。当初混乱と、公私の区別ができない事によって、ああいった不適切な態度を取ったかと思っていましたが、そうとわかれば却って納得が行きます。しかし、その事実がわかればこそ、まさに彼女がジャーナリストとしての責任等、何も取る気がなかった事もわかるのですが。


松永氏の関与そのものが無条件に悪いなどということではなく、そこの詳しい説明責任を果たせない事が問題なのですが、彼女にはどうしても分からない。これはume氏にの問題に関しても全く同じ事ですが。そもそも彼女がきちんと答える事ができれば、その時点で彼女の問題は終わります。この問題をいたずらに引き延ばしているのは彼女自身であり、それ以外の誰でもありません。



もうひとつ気になっている事をひとつ。
松永氏の背景、つまりオウムである、若しくはあったという事。泉さんにも、その関与についての説明を求めているわけですが、歌田氏の主張では、結局「オウム追求にはまず実名を公表しなければならない」ということになってしまう。氏は自分の個人的な持論としても(それ自体がジャーナリズムの倫理を冒涜していますが)実名公開を要求されていますが、結果的に非常に危険な論を展開していることになるわけです。その危険性を氏は認識しておられないでしょうが、その認識の欠損自体、今回の歌田氏の論の危険の一端を示しています。


ですから、私個人としてはBigBangは絶対に個人情報を公表すべきではないと考えています。後々同じ様な立場に陥る人があれば、その行為が身元公表を要求する論拠とされる恐れがあるからです。また単純に、こういった過敏な問題において身元を公表すれば、過度に注目が集まり、予測不可能なことが起こる可能性もあります。



歌田氏の文面、それから匿名による言説にも、最近BigBang個人に対する悪意のようなものが読み取れる事が多くなってきました。それはこの件について真正面からとり上げ続けているのが、BigBang一人だからでしょう。本来この問題は個人の立場で取り扱う問題ではないと私は思っていますし、最初から、泉さんが「ジャーナリストとして」「懇談会主催者という公的な立場から」、説明して終わりにすべき問題でした。そこで泉さんが責任を放棄した結果、BigBangが要らぬ公共の責任まで負う事になってしまった。それが正確なところです。ですから時々言われる「そこまでやる謂れはないはずだ」という指摘の源は、かなり泉さんに帰結されるのではと、私は考えています。無論松永氏が本質的質問に答えなかった問題にも原因があるわけですが。



松永氏が今後ことのはを運営する事について、きちんとした説明を果たしてくれさえすれば、問題はないと考えています。ただし、オウムに関して歌田氏のように危険な論を為す人たちが出てきたことにより、新たな危惧が出てきました。ただ、おそらくそれは松永氏の責任ではないでしょう。彼らはその言説によって、むしろ松永氏を追いつめる事になっていると思います。
松永氏はいたずらに自身が攻撃されると思うのではなく、淡々と論理的に経緯説明をしていけばいいだけなのです。オウム・アーレフの物語にあった言葉は、多くの人にとって、松永英明という人間に対しての信用になっているでしょう。また同時に、あれを読んで私が「まだオウムの人なのだなあ」と思ってしまったのは事実ですが。


松永氏が問題のすり替えや、いらぬ工作、己の身を的にした恫喝などを行わなければ、問題がいたずらに大きくなる事は「決して」ありませんでした。ただ、現在のアーレフ動向についての報道と、氏の説明に幾つか齟齬があることについては、退院後、新たにきちんとした説明が必要になります。入院も長引いているようですし、退院後一遍に要求される質問に答える必要はないのではないかとも思っています。時間をかけて質問に答えていく場のようなものを、構築できれば、それがベストでしょうね。



ぶっちゃけて言えば、お金、営業上の問題がありますから、ネットには早々に復帰する必要があるでしょう。良きにつけ悪しきにつけ、松永氏の味方になる人々も多いようですし、そのこと自体は私は歓迎すべきことと思います。伝説的ネットワーカーであった事、アーレフの中堅信者であった事、氏の文章そのものの持つ強烈な力。それらを以ってすれば、逆にアーレフ信者であった事は、むしろライターとして「売り」になるのではないでしょうか。実際、これだけのライターがこの問題に関わってきています。それだけ訴求力のある問題なのです。



おそらく松永氏本人はこれを読める環境にはないでしょうし、言葉は空しく響くだけとわかっていますが、彼には我慢強く氏の言葉に耳を傾ける人間がいるのだということを、認識しておいてもらいたいと思っています。彼を全く受け入れないというのであれば、そもそも誰も説明を要求する事はないのです。


自分個人の感覚としては、氏がいまだオウムの心情にあることが許容できないのか、公共に関わった部分の説明がないことだけが許容できないのか、わからなくなる事があります。少なくとも氏は脱会したと言っているのだから、オウムの心情にあることを責める事は理不尽ではないし、アーレフという団体の危険性が存在するかしないか、何か事が起こって疑惑が持ち上がった時、検証する事は絶対に必要なことではあります。


それはアーレフという団体と社会が共生する上で、絶対不可欠な作業なのですが、滝本弁護士のおっしゃる通り、松永氏もいろいろと揺れているのだろうと感じます。誰かが書いていましたが、心というより、もう理屈無しに体が出たがっているのではないか、そういう事なのかもしれません。これは無論全くの憶測ですが。


振り払われるのでしょうが、手は差し伸べられ続けるし、その手を取る事を松永氏はおそらく偽善としか思わないのでしょうけれど。理解し合いたいと思う親しい者同士でも、結局お互いの手は空を切るだけですし、声は届く事はないのだとはわかっています。私はアーレフ信者の心情を理解しようとは思わないし、個と個の問題に還元する事ができるとすれば、この溝は埋まる事は無いのかもしれません。松永氏が「脱けている」のなら、なぜこんなにも言葉が伝わらないのか、命を的にして他人を非難するような物言いをしたのか。氏が「追いつめられる」などと言う感覚は幻なのだと、どうすれば届くのか、虚しくその事をずっと考え続けています。勝手な感傷でしかない事は自分が一番わかっていますし、くだらない事ですが。