finaventさんが傷の話をしてたけど、追求側の人には皆、傷を感じる。BBさんでもfinalventさんでも、ランスロットさんでも、黒崎氏にも。
傷があるかないかというのでなくて、傷を傷としてそこに抱えている人。


自分の傷を見ない人というのは、何も見えないんじゃないのと思う事がある。断絶を感じる事がある。過去、ずたずたにされた事が何度かあった。

傷を見ない人は、自分の芯から逃げ出しているんだと判ったのは、それだけ痛い目にあったから。どれだけ試みても、言葉が届かなかった。その人の傷が、私にだけ見えることもあったし、見られない傷というのは、・・・言葉にならないけど。でもそれは、その人を追い込んでいく。関わった人間の事も。
何言いたいか判るかな。


いつまでも偽善で人を丸められると思う人は、傷を見ていない人。ブロゴスフィアはそういう場所じゃない。2ちゃんも。笑えてくるほど、純粋な場所。
でも見えてない、湯川さんも、佐々木さんも、歌田さんも。だから彼らは、ブログになんか興味ないとわかってしまう。ネットをビジネスに使うのは一向に構わないけど、作り物の夢を拒否する感性が集まる所に、平気で踏み込んで思ってもいない事を得々と喋るあつかましさ。


傷同士でつながっているところ。傷と公共。目の前がチカチカする。


人を笑っても、笑いが何かは知らない人達。



「救われたい」と思う事は、人を殺すこと。
適切でない夢は、この上ないほど鈍感で残酷なもの。人を踏みにじり、沈黙の「あるべき」世界を、「見られない」世界をずたずたにし、殺しまわるもの。
泉さんのはそれ。


子供は何かを信じてるけど、それは子供は人じゃないから。
でも「救われたい」と思う事は愛になるんだろうし、その時々、一瞬の何かはあるけど、それで何もかも変わるわけじゃない。


愛とかは分からない。人の心は私には見えない。意識が戻らない。
何でそんなことが恐いのか。


この欠陥が治る時が来るだろうか。
多分来ない。
体が治る事はないんだろうと、子供の頃からずっと思ってた。